凡庸

週一くらいが目標です。

傍流、溶け出し行けよ、明滅繰り返せよ。

 昨晩、職場の飲み会があった。仕事はぼちぼちやってんだけど、いまいち職場の人たちと打ち解けない感じがある。ていうか打ち解けた人たちはあんまり飲み会に来ていなかった。そういう方々と打ち解けている。

 昔から自分は本流の人間じゃないと思ってる。教室とか、職場とかのメインストリームにいない。傍流、路地裏系の人生。

 つってもその路地裏を独特の観察眼で眺めてるわけでもねえなって思ったのが、一次会をヘラヘラしながら辞して、このまままっすぐ帰ってもいいけどそうしたら家内が子どもを寝かしつけてるのとかち合ってしまうし、せっかく夜中に歩いてんのにもったいないなと思ってもう一軒寄って、そこでバーテンさんとか他のお客さんとしゃべったとき。特におもしろいこと言えない。

 人と話すのは結構好きなんすよ。初対面の人と探り探り会話をつないで保ってっていうあの感じ、嫌いじゃないんすよ。でも何にも話せることないし、だって仕事と家族しかないし、今さら昔のゲームを夜な夜な必死こいてやってるってのもアレじゃないですか。

 いや、昔のゲームやってるっつうのも悪くない話題かもしれない。おもしろく話せたら。おもしろくっていうか上手に。上手に話すのって難しいね。

 一杯分だけ他愛ない話して帰ってきて、それが結構おもしろかったっていうか、自分の輪郭がちょっと世界と融和した、みたいな感じがあって、やっぱおもしろかった。クラブとかもそうで、チラチラとライトが明滅する暗い中で大きい音が鳴っててちょっと酔っぱらってフラフラしてると、自分の輪郭があいまいな感じして、それがいい。別に確固たる自分があるわけじゃないけど。

 部分的でも、融和したくないすか?世界と。だからもうちょっと上手にしゃべれるものがあったり、しゃべり方があったりしたらいいのになって思う。

 とか言いながら、別に昨晩話した人の中に特別に話が上手な人がいたかっつったらそうでもないんだけどね。でももうちょっと図々しく自分の話が、できればもう少し上手にできるようになりたい。と思った。

 

#隙あらばポエム

家族が起きてこない。

家族が起きてこなくて退屈だ。子どもたちもいたらいたでかまってやるのが大変だけれど、今に起きてくるぞ、と思いながらいつまでも待ってなんかだか拍子抜けしている。

お茶を沸かしながらスマホで書いている。
今月は調子がよくたくさんブログが書けたので、今月中にもうひとつと思って書いている。別に元号の変わり目にこだわりがあるわけではない。平成は好きだけど。
お茶が沸いた。

さっき、いつまでもみんなが起きてこないので、プ レステのオンラインでゲームをダウンロードするためのプリペイドカードを買いにコンビニへ行った。
キャンペーン中で、1万円分のカードを購入すると1,000円分おまけしてくれるそうな。
コンビニで熟慮の結果見送った。理由は以下の通り。
①1万円分は金額が大きすぎて家内に怒られるかもしれない。
②わけのわからない企業のアンケートに答えてメールアドレスを1,000円で売り渡したくない。
③財布に1万円も入っていない。
結局何も買わずに帰ってきた。
まだ誰も起きてなかった。

ボサボサ頭の長女が起きてきた。
おはよう。
とりあえず、という感じで抱きついてきてくれた。おはよう。

コンビニに行くにあたって、財布やスマホをポケットに入れておけばいいものをわざわざボディバックに入れて、それで持って行った。
これは昨日GUで買ったものだ。なかなかいい具合に今風である。
これはいいぞ。

でも現在の僕はえらく汚らしい風貌をしている。
これは昨日、家内が不意に僕のことをスマホのムービーで撮ってわかった。
家内も「いままで私の目が曇ってたかもしらんけど、客観的に見ると汚いな…」と言っていた。
僕もそう思う。
なので今日は床屋に行きたい。
できれば次女もカットしてもらいたい。
長女もボサボサだけど、まだ伸ばしたいので今度でいいそうだ。

いま長女に「おとうさんのメガネケースに納豆が入ってたらどうする?」とめちゃくちゃ嫌なことを言われた。

募る未確認感傷的自意識

 学生の頃、気軽に集まれる距離にみんなが生活していたので、あと必要なのは集まる理由で、春で桜が咲いていたので花見をすると言って5,6人集まった。
 その頃は5,6人では少なく感じたけれど、今となってはあんなふうに気軽にぞろぞろと集まれるのは奇跡のように感じる。
 なんとなく昼の花見よりも夜桜見物に集まることになった。そのほうが人は少なそうだし酒を飲む気分も盛り上がるからだと思う。めいめいが欲しい分だけ飲み物やつまみを持ち寄って、円山公園に集まった。ブルーシートは誰が持ってきてくれたんだっけ。そんな気の利くやつ、というかブルーシートなんてもってそうな人物は思い浮かばない。そもそもあの花見に誰がいたのかすらきちんと覚えていない。写真も残っていない。
 とにかく、学生の頃に酒とつまみとブルーシートを持ち寄って円山公園で夜桜を見たという思い出だ。

 実はその少し前に僕は彼女ができた。いまの家内だ。
 僕らは同じコミュニティの仲間だったので、変に気を遣われるのが嫌で、なかなか周りに打ち明けられずにいた。といってもずっと黙っているわけにもいかないなと思い、僕はその日の花見でみんなに話すつもりでいた。花見には家内もいたと思う。
 今になって思えば、たかがその程度のことをみんなに話すくらいのことで思い切りが必要なんだと思うのだけれど、まあだいたいの若者は感傷的だし自意識過剰なものだ。
 そういうわけで、感傷的で自意識過剰な若者だった僕は酔った勢いということにしてみんなに話そうと、あまり飲めないくせに無理して飲んだ。

 無理して飲んで、自分がどんなふうにみんなに話したのか、みんなの反応はどうだったのか、家内はどんな表情をしていたのか。覚えていないのは酔っぱらっていたからだと思う。
 覚えているのは、2回くらいトイレに吐きに行ったこと、ブルーシートの上であおむけになっていたこと、その上からみんながマフラーとか上着とかをかけてくれたことだ。

 そして仰向けになったまま、僕は夜空にUFOを見た。
 ふつう夜間の飛行機は機体の光をを点滅させながら飛んでいると聞いたことがある。その夜僕が見た光は点滅せず、飛行機よりももっと低そうなところをぬるっと滑るように飛んでいた(ような気がする)。
 もちろん僕は周りのみんなにUFOが飛んでいると言ったはずだ。みんなだって夜空を見上げてくれたはずだ。

 その晩を境に僕らの仲はオープンになり、困ったことといえば下ネタを言うと妙に生々しくなってしまうので言えなくなってしまったくらいのことで、みんな自然に受け入れてくれたし、むしろみんなそんなに気にしなかったようだ。
 結局、僕が感傷的で自意識過剰なだけなのだ。今だにそうなのかもしれないと思うことがある。

 大人になってからも家内にも何度かこのUFOの話をした。ただ反応は芳しくなく「酔っぱらってたんやろ」程度のことだ。あの晩、同じ夜空を見上げたとは思えない反応だ。
 本当に僕はUFOを見たんだろうか。
 それから、花見もしたはずなのに桜そのものの覚えがないのはありがちな話だ。

 ちなみに僕と家内は吉田山の上空あたりをボーリングのピンのような形をしたUFOが飛んでいるのを見たこともある。河原町今出川にあったマクドナルドから出てきたところで見つけた。これは今でも二人で話すことがある。マクドナルドはもうなくなっているらしい。


 京都の空には時々UFOが飛んでいる。