凡庸

週一くらいが目標です。

凡庸の凡庸(2020.05.04)

 夜中の2時半ごろ、鼻が詰まって眠れなくなってしまったと言って長女が何度も寝室とリビングを出入りして鼻をかんでいた。お茶を飲ませたりヴェボラップを塗ってやったりしてもう一度寝かせた。

 我が家はみんな何となくカラ咳が続いていたり鼻が詰まったりお腹を悪くしたりしている。コロナコロナのこの時勢で不安なのと周囲に申し訳ないのとで困るので、早くみんなスッキリしたいものである。

 

 そんなわけで僕と長女は夜の変な時間に少し起きてしまったせいで今朝はグースカ寝てしまい、珍しいことに我が家の一番早起きは次女であった(記録9:00)。次女の起きた気配で僕が目を覚まし、次女が僕にオムツを交換されている気配で長女が起きてきた。三人でジャムトーストを食べて朝ご飯とした。別室で寝ていた家内は……いつまで寝ていたんだっけ。

 

 この外出自粛期間中は学研のニューブロックに本当にお世話になっていて、みんなでおうちを作ったり乗り物を作ったりロボットを作ったり(ブロックを取り合って姉妹喧嘩したり)して毎日のように遊んでいる。

 今日は長女から「コンテストをしよう」と挑まれた。お題は何かと聞くと、長女はあまり考えずに「めちゃくちゃなものを作ろう」と言った。

 ふむ、よかろう。大人のめちゃくちゃさを見せてやろう。ということで審査員を家内に依頼しコンテストにとりかかった。

 

 僕は手当たり次第にブロックを手に取りつつ、それをなるべく無作為にはめ合わせ、かつ巨大で自立する形へ「めちゃくちゃ」を目指して作っていく。

 一方長女も適当にくっつけているようで、このあたりはうまく説明できないのだけど、なんというか、大人の僕にとっては意識の外側、のような組み合わせ方、差し込み方、そしてまとめ上げ方をしていた。

 僕の作った「めちゃくちゃなもの」は「めちゃくちゃ」を意図して作った「めちゃくちゃ」であるが、長女の「めちゃくちゃなもの」は幼児の天真爛漫さや荒唐無稽さが形になった天衣無縫の「めちゃくちゃなもの」である。

 もちろん長女とて「めちゃくちゃ」を意図してはいるのだけれど、一目見てわかるほどの「めちゃくちゃ」の純度の高さに、その境地に至れなくなってしまった大人の僕は自分の「めちゃくちゃなもの」を作りながら半ば負けを確信していた。

 

 子どもの制作した絵や工作が大人の胸を打つのは、その巧拙のためではなく、技術や知識を身に着けたがゆえに二度と再現することのできない、大人がすっかり通り過ぎてしまったその無邪気さや荒々しさや奔放さのせいだ。

 こういうものの得難さがなんだか切なくって僕たちは長女が描いた絵をなるべくとっておくようにしている。時にはきちんとした画用紙に何か描いてもらい、額装して家に飾ったりもしている。

 

 さて、ブロックコンテストにはいつの間にか次女も参加しており、彼女はブロックをはめ合わせることすらせず整然と縦にブロックを積み上げていた。「めちゃくちゃなもの」というお題に対して(知ってか知らずか)ただ整然とブロックを積み上げるなんて、さすが次女、パンクだな…と思って横目で見ていた。

 いよいよ高く積みあがってきたところで、彼女はそれをバーンと唐突に崩した。

 審査員の家内が見に来たとき、すでに次女の作品は跡形もなく瓦礫となっていて、「整然と積みあげたものをバーンと崩した」というコンセプトのような、概念のようなものものしか残っておらず、「めちゃくちゃさ」というフィールドにおいて我々は圧倒的な違いを見せつけられたのだった。現代パフォーマンスアートかよ。

 家内による審査の結果「めちゃくちゃコンテスト」の優勝は次女、準優勝は長女だった。 

 

(この日他にも次女は、僕と長女が協力して作った積み木のお城をせっかくだから長女も一緒に写真を撮ろうとしたところに、自分も一緒に写してもらおうと入ってきて、さあハイチーズの瞬間によろけてお城を粉砕した。カメラはピースして顔を作っている長女と、前につんのめる次女と、吹っ飛ばされる積み木のお城とを捉えていた)

 

 お昼ご飯はまたたこ焼きパーティーをした。タコとモチとウィンナーを入れた。僕たちの手際が良くなったためか、以前よりもみんなよく食べた気がする。

凡庸の凡庸(2020.05.02)

 世の人のすなるZOOM飲み会といふものをしてみんとてするなり、つって何ら必要性があったわけじゃないけれどその物珍しさにやってみたくなり、大学の同級生をLINEで誘ったところ割と色よい返事が返ってきた。

 ので、昨日の夜試してみた。

 

 結果的にお互いでやいのやいの言うだけで、しかもネット環境によって多少ラグがあり(そしてそのラグがひどいやつに限ってしゃべるまくるせいで)妙な間抜けさが発生して話に進展はなかった。

 途中、子どもを寝かしつけた家内も僕の隣で参加して、かつての友人たちの顔を見て懐かしがっていた(夫のボサボサに伸びてる髪の毛なんとかしてやりなよ、と言われて笑っていた)。

 「試してみたけど結局昨日は何にも話は進まなかったよ」と家内に話したら「そんなの学生頃からそうじゃん」と言われた。確かにそうだ。思い返せば僕たちの話が何か先へ進んだためしはなく、会うたびにお決まりのくだりを何度も繰り返している。

 

 ZOOM飲み会での気づき

・カメラに飲み物を近づけて「かんぱーい」とやると、想像以上に乾杯感が出る。

・自分の顔を見ながら酒を飲むのは変な感じがする。

・いつもよりみんな髪を気にする。

・お互いが用意しているツマミを見せ合うと楽しい。

・9人でやると6人はダラダラ飲みながらただ聞いてるだけ。

・寝そうになるとすぐばれる。

・知っている人がしゃべっている声を聞きながら飲む酒は寂しくならない。

 

 それにしてやっぱり人間にとってコミュニケーションっていうのは快楽なようで一度やると癖になりそうですね。楽しかった。

 でもやっぱり直接会ってわーわー言いながらお決まりのくだりで笑いたいもんだ。はやくコロナをなんとかしてくれ(クラブも行きたい)。

  みなさんお元気してますか。

四者四様四等分。

 何につけても口をついて出るのはコロナ、コロナだ。我が家においても影響は免れず、僕も家内も仕事ではその対応に追われ、年長さんとして大役を担うはずだった長女の保育園の進級式は中止になり、次女は…次女はまあいつも通り自由にやっている。

 週末も「不要不急の」外出を控えて家の中でブロック遊びをしたりひとけのない小さな公園で少し遊んだりして過ごしている。そして週が明ければウィルスに感染して家族にうつしやしないかとビクビクしながら電車に乗って仕事に行く。

 やな春だ。

 

 幸いにもうちの子どもたちは週末に家の中にいてもそれほどイライラが溜まるわけでもないらしく、姉妹でテレビを見たりおもちゃで遊んだり時々けんかしたりしながら、おおむね平和に過ごしている。

 土曜日はみんな少し朝寝坊をして、昨日僕が買ってきた551の豚まんを温め直して食べた。豚まんを食べるときには次女は口が小さいのでそのままだとなかなか餡にたどり着かないだから。四等分にして切ってやっている。下の歯がグラグラしている長女も大きな口でかじることができないので自分の分も切ってほしいと言っていた。二人とも自分の顔ほどある豚まんをペロリと食べた。大阪に来てよかったなと思うのは好きな時に551の豚まんを買って帰ることができることだ。

 それから掃除機をかけたり2回目の洗濯機を回したりしていると、玄関のチャイムが鳴った。待ちに待ったたこ焼き器が届いたのだ。これでたこ焼きパーティーもできるし、名実と共に晴れて我が家も大阪ファミリーとなったわけである。

 この喜びをTwitterでつぶやいたところ、

 諸先輩方からオススメのレシピを教えてもらった。精進します。

 

 さっそく家内はたこ焼きの具材と来週分の買い出しに出かけた。残された僕と姉妹はとりあえず家の前の庭(駐車スペース?)に出て、少しでも日光浴をすることにした。狭いスペースをランニングバイクでちょろちょろしたり、なわとびで遊んだり(なわとびをしたわけではない)して遊んだ。

 しまいには長女がチョークで地面に線を書き始めて何かと思いきや「おうちごっこをしよう、ここ玄関ってことね」というのだけれど、玄関ってことも何もすぐそこが玄関だしごっこも何もそこおうちじゃん、と思ったけどそんな野暮はやめてお兄ちゃん役をちょっとやった(ランニングバイクでぐるぐる爆走していた次女はお母さん役でした)。

 そんなことをしているうちにどっさりと具材を抱えて家内が帰ってきたので、本物のおうちに戻ってたこ焼きの準備に取り掛かった。

 自分で作ってみて、タコ以外の具材も入れてみてわかったのだけれど、たこ焼きってやつはあれ、タコから出るダシが結構大事ですね。何か入ってれば一緒だろと思っていたけれど、やっぱりウインナーやモチやチーズでは出ない旨味みたいなのがたこ焼きにはある。あと自分で具材そろえるより店で買ったほうが安くつきますね。

 家内に教えを請いながら不器用な手つきでひっくり返すと、意外ときれいにまん丸に焼けて楽しい。それから余りそうなタコをタコだけで焼いて食べてもおいしいし楽しい。家でするたこ焼きはとても楽しかったので子どもたちがもう少し大きくなったらひっくり返す役とかもやらせてあげたい。またやりましょう。

 

 粉もんで腹が膨れて昼寝をしていた僕と次女が起きてくると、家内と長女が台所でなにかやっている。見るとうちで一番大きな鍋の中にタケノコが浸かっていて、灰汁抜きが済んだのでこれから家内と長女ふたりで皮むきに取り掛かるそうな。家内は僕と同い年なのにタケノコの下処理の仕方なども知っていて、こういうときに家内のことを尊敬する。おまけに長女に手伝わせてやることによって、あの生えているタケノコがどうやって食べるタケノコになっていくのかを授業してやっているのだ。家内はえらいなあ、と昼寝起きの次女のオムツを替えながら思った。

 それから長女が家内にタケノコの皮をくれ、というので何かと思ったら、先週のサザエさんでタケノコの皮越しに梅干しを吸う、みたいなやつをやっていたそうで、それをやりたいということだった。長女も偉いよなあ、そういう知的好奇心は本当に偉いと思うよ。

 晩御飯はタケノコご飯だった。タケノコは特にこれといった味がするものではないけれど、春めいていておいしいと思う。子どもたちにはそれほどウケなかった。食後に昨日家内が買ってきていたシフォンケーキの余りを分け合って食べた。

 

 子どもたちが寝てからプラモデルを作った。外に出られないから家でロボットのプラモデルでも作ろうとか言ってるんだけど、プラモデルを作るのはだいたい家族が寝静まった夜なのだから、外出ができようとできまいとあまり関係ないな。

 

 日曜日はプリキュアがやるので少なくとも8時過ぎには起きなくてはいけない。いつもなら近所のパン屋さんに子どもと行くのだけれど、世の中の流れ的に控えた。トーストを焼いて、両面焼きの目玉焼きとウインナーとで朝ご飯にした(我が家ではおうちモーニングセットと呼んでいる)。ここでもやっぱり僕はトーストを四等分に切って出してやった。

 この日の午前中は例のおうちで踊ろう動画について夫婦で怒っていた。特に家内はここ数日、コロナウィルスに発した仕事の繁忙ぶりに疲弊しているのもあり、Twitterの言論に同意したり反発したりと気分的にも参っていた。そこにあの間抜けなやつが目に入ってしまったので、洗濯物を畳みながら心底がっかりした様子だった。

 

 難しいですね。怒りは怒りとして思う存分怒るべきだと思う。きちんと怒りの声を上げて態度表明をするもはとても素晴らしいし、ノンポリぶってクールで客観視できる第三者を気取るのはたぶんこれからどんどんダサくて反知性的な所作になっていく気がする。だから怒りにしろ抗議にしろ政治的に態度表明するのは重要なことだ。

 ただし、政治的に怒っている人もいつまでも怒っている必要はなく、個人的な生活領域の中では穏やかに享楽的に過ごしていてもいいと思う。そのささやかな個人的生活を守るためにも、政治に対し怒りを以て態度表明をするのは大事だ。でもその怒りで生活領域まで焼き尽くしてしまわないようにするべきだし、意識すればできることだと思う。不実な政治に怒ることと、ささやかな生活を過ごすこととを両立したい。

 (誰にだってささやかな生活をおくる権利はある。豪華なソファーに足組んで座って犬を撫でて英気を養うことだって必要かもしれない。だけどそれをメッセージ性のあるものとして発信した時点でそれは個人的領域ではなくて政治的領域にあるものになってしまうに決まってるじゃないか。そしてその政治的メッセージがどんなに人を不快にさせるか、そういう想像力すらないことに絶望していた)

 あんまり怒ってばっかりいたり、怒りに触れてばかりいると疲れてしまうね、というような話を家内とした。

 

 それはそうとして長女の靴を買いに行った。金曜日ごろに足が痛いというので爪を切ってやったが、両親でよくよく考えて靴が小さいのではないかという結論になった。痛がる娘に新しい靴を買ってやるのは重要度の高い買い物だ。長女はオレンジ色のきれいな色をしたスニーカーを選んだ。ついでに家内もスニーカーを新調していた。帰りにマクドナルドに寄ってハンバーガーを買って帰った(次女のチーズバーガーはまたしても四等分にされた)。

 

 仕事をしていると子どもたちの顔が浮かんで帰ったら存分に抱き上げてやろうと思うのだけれど、週末隙あらば膝の上に座ってきたり僕とコタツの間にもぐり込んできたりされながらずーっと過ごしていると、姉妹で遊んでいてこちらを放っておいてくれる時間は助かるなと思ってしまう。ついつい世話がおざなりになるけれど、こんなに小さくて懐いていてくれるのはいまだけ、いまだけ……。