凡庸

週一くらいが目標です。

ジゴロの国のトイレ事情と、鉛の熊。

 イタリア旅行に行ってきた。いわゆる新婚旅行、ハネムーン。海外は何かと不便なので、ひとつ沖縄や北海道、海外という点は譲ってグアムハワァイなどで手を打ってもらえぬかと、水面下の政治交渉を続けていたのだが、やはり家内としては欧州がよいと。奥州平泉ではいけないらしい。
 まいった、最終学歴が小学校卒業である身の僕としては、英語すら習っていない脳味噌しかなく、かといって家内が外国語を駆使するような仕事についているわけではないので、現地においては口の利けない人に等しい。いや、手話すら使えぬ我々は、なんら現地の人と交渉する手段を持っていないので、べら棒に高い何に使うかも分からない金属製の熊の置物なんかを売りつけられて、重たいそれを抱えたまま西洋の歴史ある街並みの中で立ち尽くす羽目になるだろう。
 せめてもと家内に懇願し、パッケージツアーにしてもらった。これならばコミュニケーションは全て添乗員さんやガイドさんを介することが可能で、金属製の鹿を売りつけられそうになっても、代わりに断ってもらえるだろう。
 なんと情けない亭主の姿か。


 家内の一存で決まったイタリア旅行であるが、結論からいえば大変楽しかった。
 家内は、現地の店員との値引き交渉、複雑な旧市街地での地図を見ての道案内、僕の鼻紙の管理等、大変頼りになるので、これからもこの人の後ろについて行こうという決心が固くなった。彼女のこのような頼り甲斐のある姿が見られて、家内の言う通りイタリアに来てよかった。


 不安に思っていた現地人とのコミュニケーションもある程度なんとかなった。
 行きの飛行機12時間寝ずに「旅のイタリア会話帳」みたいなもので勉強した成果を試そうと、空港の売店の男性店員に恐る恐る「ありがとう」、すなわち「ぐ、グラッツェ」と声をかけたところ、多少そっけなくはあるが「プレーゴ」という返事があった。慌てて会話帳を繰るに、「どういたしまして」という意味らしい。日本人らしい曖昧な苦笑いを残してその場を辞した。
 ちなみに家内が同じ男性店員に僕と同じやり取りを試したところ、満面の笑顔で「プレーゴ」と返ってきた。さすがジゴロの国、イタリアである。
 これ以降、僕はひたすら「グラッツェ」を連発し、その都度優しいイタリア人たちから返ってくる「プレーゴ」に満足し、現地でのコミュニケーションはバッチリであった。


 料理については心配していなかったが、心配の必要がないどころか、どれもこれもおいしく食べられた。無類のピッツア好きの僕としては、自分で自由に選択できる食事は全てピッツアを食べていたと思う。ピッツアと何かの肉を焼いたもの、という組み合わせが最高であった。下戸なのでコーラないしは炭酸水で流し込んで、大変満足である。
 あとどうにも暑いので、あちこちでジェラートを食べた。普段なら家内による厳しい食事制限のため、毎日のようにジェラートを食べることなど許されるはずもないのだけれど、そこは旅行中である。家内も一緒になって、いっぺんに二つくらい盛りつけられたジェラートを、うまい冷たいと毎日のように食べられて、極楽のようだった。


 ふたりで外国旅行なんて正気の沙汰ではない、と思っていた。しかし行ってみれば何とかなるもので、なんなら添乗員抜きの自由行動日も楽しく二人で散策ができた。やればできるものである。これからの生活に多少の自信がつくとともに、家内とであればまたどこか遠くの国に行ってみたいな、という前向きな気持ち。
 それにしてもやっぱり、日本はトイレ事情において他国の追随をいっさい許さない。帰国後の空港でつくづく思った。