凡庸

週一くらいが目標です。

お雛様・ゴーズ・オン、お内裏様は五人囃子とでも飲んでりゃいい。

 家内もお腹の子も(たぶん)健康、順調。日々は続く、らいふ・ごーず・おん。

 気付けば年度末である。仕事柄、年度末が格別あわただしくなるわけではないが、来年の異動人事なんかも耳に入り、春だなあという気分だ。4月からは新人さんの指導員をすることになった。
 新しい人員がくる、というのは、とても楽しみである。自分の職場環境は変わらないにしろ、そこへ同い年くらいの知らない人が入ってくるというのは、環境も気持ちもちょっと変わる。万物は流転すべきで、風は抜けていくべきだ。怖い人じゃないといいなあ、と思っている。
 でんぱ組.incを聞いている。新年から読書メーターを始めた。ウルフ・オブ・ウォールストリートを見た。大阪で通うピザ屋が決まった。iPadを買った。カルディで安いコーヒーを買って新しい瓶に詰めた。
 日々は流転する、等畏怖・郷頭・穏。


 それにしても久しぶりに日記を書くと、何から書いていいやらわからない。毎日、せめて週に一度ぐらいは書くものなんだろうな。性質上向かない。おまけに僕を取り巻く人員はそう多くなく、「日々は流転する」なんていいつつも流転して巡ってくるのはどっかで見たような日々で、トピックスは少ない。
 やっぱり大事なのはイマジネーションだな。同じ日常を眺めながら、発見したり、考えたりしなくちゃな。


 と、言って思い出したのは、先日に家内と話してて思いついた、「職場飲み会と雛飾り」の話。
 家内曰く、近頃じゃ企業もセクハラに喧しく、職場の飲み会でも上司や管理職が近くに女の子を座らせて酌をさせる、ということはしないようにしているらしい。しかし、あくまで「しないようにしている」のは上司サイドであり、実際には管理職の隣や近くには女性が座っているとか。
 セクハラに喧しいはずなのにどうしてこういう事態が起こっているのかというと、幹事を務める若手社員が「ホラホラ、女の人ばかりで固まらないで、○○さんは部長の隣、××さんは次長の前」なんつってせっせと席次を割り振るのだそうな。反吐が出る、と家内は言っていた。

 
 女性の「女性性」みたいなものだけを見て、それを若手社員は女衒のようにして女性社員を「あてがって」、上司は若手に言われるから「仕方なく」でも「満更でもなく」女性社員をあてがわれる。うむ、反吐が出る。


 ところで、この「女性ばっかりで固まらないで」を聞いて思い出したのは、同じような言葉で「若手ばっかりで固まらないで」という言葉がある。
 こっちのほうは、なんとなく「せっかくの飲み会だから色んな人と話しなさい、勉強になるから」という意味では納得できる。もちろん勉強になるかどうかは別だし、おじさんたちの溜飲を下げるためだけのサンドバックにならなければいけないのなら、クソ喰らえだが。
 にしても「女性ばっかりで固まらないで」と「若手ばっかで固まらないで」の違いってなんだろう。


 思うに、若手幹事が作り出すべきは「カオス」なんだろう。
 職場の飲み会である。日頃付き合いのある人と飲むのもいいが、せっかくだから交流の薄い人とも食事をしながら打ち解け合うのもいいじゃないか。「女性」や「若手」といった、単一の属性で固まっちゃわないでカオスの中で大いに交流しよう。
 こういった文脈で「女性/若手 ばっかりで固まらないで」と使われているなら不快感は少ない。
 じゃあ若手幹事が席次を采配せずとも、みんなでくじ引きでもしたらいい。そうすればどこに誰が座るかわからない、複雑な人員交流ができるってものである。
 でも若手幹事が作ろうとしているのは「カオス」ではない。
 幹事が目指しているのは「雛飾り」である。

 
 お内裏様の隣におひなさま、その下に三人官女、五人囃子…。職場の飲み会には「こう並べるべき」暗黙のルールがあって、それをきちんと見抜き、一番偉い人に一番若い異性をあてがった若手幹事は、デキるヤツ、の称号を拝受するのだ。
 部長の隣に次長が座ってやたらめったらおっさんだらけの席があってもいいじゃないか、でもお内裏様のとなりにはお雛様を配置しないといけないのだ。


 なにしろ、飲み会の席で女性が言われるままに「あてがわれている」のって反吐が出ると思う。いいじゃん、おっさんばっかで座ってれば。そういう時代じゃないんだよ。