凡庸

週一くらいが目標です。

風呂に浸かる時間は僕だけのものじゃない。

 久々に職場の若手(U30)で飲みに行った。普段は下卑た目つきで揉み手をしながら職場をゆらゆらと漂っているので気付いていなかったが、いつの間にやら若手の中では年寄り格になっていた。しかも結婚して子どもまでいるのは僕だけで、若手若手といいつつも自分にできる話は家内や娘の話ばかり。無理に若い人たちを誘ってうっとうしいおじさんにならないようにしないとな、とビールを飲みながら思った。

 

 疲れたのだ、今週一週間は。毎日遅く帰って風呂に入ってご飯を食べさせてもらってズキズキする頭と目の奥を労わりながら布団に入った。自分の担当すべき職務が一度にいくつも重なったのだ。大変だなあ、ToDoリストが必要だなあとリストを作るも、ものの数時間で紛失し、新たなToDoリストの冒頭に「ToDoリストを見つける」とか書いてるある暇があれば手を動かせよ手をよ、はいはい「手を動かす」…っと、鈍臭いなほんと。

 そんなことをしているうちに帰る時間も遅くなって、本来なら僕の仕事であるはずの娘のお風呂や洗い物を家内に押し付ける羽目になってしまった。それでも家内は嫌な顔ひとつせずに、それどころかねぎらいの言葉までかけてくれて、僕はぬるくなった湯船に熱湯を足しながら少し泣けた、あと湯船ですこしウトウトした、あぶねー。

 そうした家族の助力もありながらなんとか今週を乗り切り、金曜日にはかねてから約束のあった若手の飲み会に参加していたのだった。

 娘が産まれてからつくづく思っていることで、これは僕の人生における戒でもあるのだけれど、それは「僕の休みは僕だけのものではない」ということである。

 これはどういうことかというと、僕がだらしなかったり張り切ったりして仕事が長引いたとする、休日に出勤したとする。そうすると僕がその仕事にかかっているしわ寄せはみんな家族にいくのだ。先の話なんかでいうと、僕がToDoリストを一生懸命探しているその間に、家内は家内の家事に加えて、平常なら僕が帰ってきてやることまでこなさなくてはならない。いうなればこれは僕が家内や娘の時間を奪うことにもなりかねない。

 「奪うことにもなりかねない」とか言っておいて、僕はしっかり飲み会に参加し、ピザ屋で軽く飲み直し、皆と別れてからこっそり一人でカラオケに行ったのだけれども、「休みは僕だけのものではない」と本当にそう思っている。一曲歌わせてくれ。

 

 土曜日はひと月くらい通い詰めている住宅展示場で、FPの人にライフプランの話を聞いてきた。娘もおじさんたちの顔を覚えたくらいのところで、とりあえず一区切りになった。

 都会に出たついでに百貨店でバレンタインフェアに寄った。しかし大変な混雑ぶりで、チョコレートのソフトクリームを家内と分け、パンフレットをもらって帰ることにした。パンフレットについていたおまけの「ガラスの仮面」の漫画はとても面白く、続きが気になって僕のスマホでアプリをインストールして、家内と顔を突き合わせて読んだ。「ガラスの仮面」に求めているメソッドがすべて盛り込まれていて、ファンの僕らとしては大満足だった。単行本にも番外編としてぜひ収録してほしい。

 

 昔は、中学生とか高校生のころは手作りのチョコレートに大変な魅力を感じたのだけれど、今はそうでもなく、熱心にバレンタインフェアのパンフレットを読み込んでどれを家内に買ってきてもらおうか悩んでいるほどである。手作りのチョコレートもいいけれど、この時期ならではの高級チョコが魅力的なのだ。

 これは歳をとって、そういう恋人から贈られる手作りの詩情、みたいなものを感じなくなってしまったせいだと思っていた。だけれども今日、風呂に浸かりながら、考えてもみれば毎日のように家内の手作りのご飯を食べさせてもらっているのだと気付いた。そういうことも関係しているのかもしれない。

 

今週のお題「バレンタインデー」