凡庸

週一くらいが目標です。

狂おしくうらやましい半日。

 寝かしつけができない。育児スキルのうちでいつまでたっても習得できないのが寝かしつけだ。言い訳をさせてもらうと、娘はずーっと乳を含みながら眠るのを習慣にしていたから、いつもお母さんに寄り添いながら寝ていた。なのでおそらく寝る=お母さんというのが分かち難くくっついてしまっていて、どんなに寝室で二人仲良く遊んでいても、僕が「ねんねしよっか」と声をかけると、ねんね=お母さん!となって家内のところへすっ飛んでいく。無理に電気を消して寝室の戸を閉めようものなら布団を抜け出して戸の前で「まんまー、まんまー」と泣き続けるのだ(ちなみに「まんまー」とはお母さんやご飯のことを指すのではなく、強い要求の意思はあるのだけれど適当な言葉が思いつかないときに出る言葉で、「please」あたりが近いか)

 で、どんなに僕が娘を布団に誘っても一向に寄り付こうとはせず、お母さんの布団に潜り込んで寝るスタイルがすっかり定着している。同じ布団に潜り込んでくるくらいなら、まあ寝返りしづらいくらいのもので、それはそれで結構辛いもののまだ我慢できるそうなのだが、娘は足癖手癖が悪く、寝ぼけながら家内の足やわき腹を小突くのだ。家内に言わせれば、小突くというより「こそげる」ようにして布団とお母さんの体の間に手や足を突っ込もうとするそうで、これがすこぶる不快だという。もともと家内は学生のころから眠ることが好きで、寝苦しくて起きてしまった僕はベッドから這い出して、かといって狭いワンルームマンション、恋人を起こさないように一人でできることなんて知れており、その辺の本なんかを読みながら家内の起きるのを待ったものだ。そう、それで眠ることが好きな家内の眠りを邪魔するのは大罪であり、とはいえ愛娘がすることとたいがいは我慢して一晩中浅い眠りを我慢している(らしい)のだけれど、ときどき明け方の寝室に怒りが爆発することがある。

 

 今朝はそんな朝だった。一晩中の「こそげる」攻撃に業を煮やしたお母さんに布団から締め出され、娘の泣く声が午前5時の寝室に響いた。さすがの僕も目が覚め、娘に「お父さんの布団においでよ」と何度か声をかけるも泣きじゃくる1.5歳児は聞く耳を持たない。何とかもう一度眠ってもらおうと抱っこしたり、くるりの「ばらの花」や「言葉はさんかくこころは四角」を歌ったり、麦茶を少し飲ませたりするも、お母さんんの布団を指さし「まんまー、まんまー」と泣くばかり。家内はといえば頭から布団をかぶり一切の要求には応じない構えである。そんな状態が小一時間続き(近隣の皆さま大変申し訳ありませんでした)6時も過ぎたところで、女二人の攻防にお父さんである僕が折れた。娘をテレビの部屋へ連れていくことにした。オムツを替え、お茶を含ませ、外に出られる格好に着替えさせた。

 

 僕も着替えて、朝ご飯を食べることにした。なるべく娘の気配がないほうが家内も眠りやすかろうと言い訳にして、自転車で10分ほどのパン屋に行くことにした。併設の喫茶店で自分にモーニングセット、娘にはたまごサンドを食べさせた。娘は「おいしいねぇ」といいながらまるまる一人前を平らげ、お父さんのサラダについていたプチトマトもおいしそうに食べた(お父さんはプチトマトが苦手)。

 家に帰って、洗濯機を回した。お絵かきをしながら待ち、洗濯が終わったら干す。娘には洗濯カゴごとタオルを引きずってきてもらい、さらにベランダにいるお父さんに部屋からタオルを渡すお手伝いという大役も見事果たした。父娘の洗濯が終わったころに家内が起きてきた。家内には今から買ってきたパンを食べてもらうことにして、僕はもう一息、娘を外に連れていく。

 公園へは歩いていくことで娘の体力を消耗させる作戦だったのだけれど、そういう僕の作戦がうまくいった試しはなく、少し歩いたところで娘は僕の前に回り込み両手を挙げ「がっこー、がっこー」と要求するので、僕はあっさりと要求に屈し娘を抱き上げる。書いてて思ったけど、たぶん何十年か後の僕は現在の僕のこんな一瞬が狂おしくうらやましくなるんだろうなあ。また明日も明後日もあっさりと要求に屈しよう。

 

 その公園は大きな砂場をぐるっと四角く柵で囲んで、その柵の中にいくつか遊具が置いてある。柵で囲んでおいてくれると猫がウンコをしに来ないのでありがたい。暖かく天気の良い日で、離れたところにあるグラウンドで草野球の試合をしていたり、柵の外を大小さまざまなわんわんが散歩していたりしたが、その遊具のエリアには誰も先客がいなかった。僕たちは好きなだけすべり台と芋虫の形をしたロデオの遊具を堪能した。

 そうやって遊んでいると、少ししてからおばあちゃんらしき人に連れてこられた、娘よりも数か月大きいような女の子がやってきた。彼女は砂場遊びセットを持っている。不覚だ。僕たちは家に置いてきてしまった。目ざとく見つけた娘は「まんまー、まんまー。ないねー、ないねー」と僕に文句を言う。うん、あれはあの女の子のものだし、僕たちにはないねー、と悠長なことを言っていられないので家内に砂場グッズを持ってきてくれるよう電話した(結局家内だ)。

 それにしてもこれまでの僕の短いパパ経験からいえば娘が「まんまー、まんまー」と騒いでいたら、あのおばあちゃんらしき人が「一緒に遊ぶ?」と声をかけてくれるのがパターンだったのだけれどまったくの無反応で、孫と二人でもくもくと遊んでいる。娘といえばいつの間にか砂場グッズのことを忘れて、すべっては上る「すべり台千本ノック」に取り組んでいた。

 

  家内が電動自転車に乗ってやってきた。晴れて砂場グッズをゲットした娘はさっそくスコップをつかんで穴を掘り始めた。僕たちも近くにかがんで一緒に穴を掘ったり砂山をつくることにした。すると先ほどの女の子がこちらに近づいてきた、僕はスコップのひとつを「どうぞ」と差し出すと、女の子は無表情のままそれを受け取って僕たちの砂山づくりに参加した。後ろからやってきたおばあちゃんらしき人が女の子に何か声をかけたが、僕たちは「いいんですよ」とおばあちゃんに言って、そのとき気付いた。どうやらこの二人は日本語を話さないらしい。それでうちの娘の「まんまー」にも気付かなかったのだ(たぶん)。

 でも不思議なもので、娘も女の子も家内にぴったりくっついて、見よう見まねで家内のつくる砂山のうえから砂をかけては、交互に「ぎゅっぎゅっ」と固めている(僕はそこにいる女の人たちの誰からも見向きもされず、彼女たちを横目にひたすら深く深く穴を掘っていた)。おばあちゃんはにこにことその様子を見ている。「不思議なもので」とは言ったものの、そう不思議なことでもないのかもしれないけれど。

 そうやってしばらく遊んで、バケツにぎっしり砂を詰めてひっくり返して大きなプリンをつくる、というのを家内が娘と女の子にやってみせたら(僕は穴掘り)、女の子は自分の砂場セットをおばあちゃんのもとへ持っていき、それからはおばあちゃんと家内の間をいったりきたりしながらいくつも大きな砂のプリンをつくってもらっていた(娘はプリンに木の枝を突き刺してデコレーションする任務に就いていた)。

 楽しかったよ。単純にじっくり砂場遊びをするっていうだけでも楽しかったし、小さな子たちが見よう見まねで一生懸命新しいことを自分たちなりに吸収しながら楽しんでる様子を見るのも楽しかったし、うちの娘が知らなかった女の子となにかよくわからない言葉や微笑みのやり取りをしているのを見るのも楽しかった。

 そうこうする間に頃合いになって、僕たちは帰ることにした。娘は「まんまー」ともっと遊びたがるかと思ったけれど、満足したのかおなかが空いたのかおとなしく自転車の後ろに収まった。娘と女の子はお互いにバイバイ、と楽しそうに別れた、また会えるといいね。

 

 家に帰って娘は白米を口からおなかに詰め込み、その途中で寝た。お母さんもお父さんも関係なく、早起きしてたくさん遊んでおなか一杯ご飯を食べたので自然と寝たのである。