凡庸

週一くらいが目標です。

経年劣化を退屈しのぎにする

 ちょっと恥ずかしくてありきたりな話を書く。 

 

 かれこれ3年くらい使っているCASIOの腕時計を気に入っている。いわゆるチープカシオというやつで、ネットで1,000円くらいで買った。薄くて軽くて小さくて、付け心地という点においてはこれ以上の機能のものは考えられないので、安物の時計と思いつつもずっとつけている。少し前にウレタン製のバンドが切れてしまい、100均で替えのものと交換用の工具を購入し、バンドを付け替えた。デジタルの文字盤も大小の傷だらけである。

 先日家内のほうの親戚が集まり、小学校にあがったばかりの甥っ子に会った。彼は友達と遊ぶのが楽しすぎるのか家に帰る時間を忘れがちなので、16:50になるとアラームが鳴るように設定された腕時計を親からプレゼントされていた。それを僕に自慢してくれた。お揃いのチープカシオだった。

 お揃いだよ、と教えてあげると、おそろいやー!おそろいー!ねえねえお父さん、おじさんとおそろいだったよー!ねえねえ、おそろいー!とずいぶんと喜んでくれて、おじさんも嬉しい。そして僕のもとへ戻ってきて、お互いの時計をしげしげと見比べて「でも僕のやつのほうがピカピカやね、おじさんの傷ついてる」と言った。

 それがいいんじゃないか。君のはまだ新品でピカピカだから、ほかの新品の時計と一緒だよ。でもおじさんの時計は傷だらけになってて、この傷がついてる時計はこの世界でおじさんの時計だけだよ。ほら、バンドも切れちゃったから自分で交換したんだ。

 そう大人げなく自慢すると、実に素直に、すげー!おとうさーん、おじさん自分でバンド交換したんやってー!とまた驚いてくれた。

 少年よ、いっぱい遊んで、いっぱい時計に傷をつけるんだ。エイジングってやつだ。

 

 この「エイジング」という考え方が結構好きだ。こどもがなにかしでかしてテーブルなんかに傷がついたりすると家内は嫌がる。でも僕としてはそうやって身の回りのものを傷つけながら育てていくのはいいことだと思う。10年近く前に家内にもらった財布もすっかりボロボロで見ようによってはみすぼらしいけれども、そこが気に入っている。

 ものぐさな自分の性格と非常に相性がいいこともあり、身の回りのものを傷つけてエイジングさせて育てていっているんだと思っている。おかげでいろんなことにおおらかになれたような気がする。

 

 さて、こないだ駅の改札を通ろうとICカードの入った財布を取りだした。そのときふとこのすっかりエイジングした財布と「目が合った」。

 目が合った瞬間に、それこそ正確な意味で、自分自身のエイジング…という考えが頭をよぎった。自分自身のエイジング、傷ついて自分はユニークになっていっているか。

 

 ここのところ、朝に仕事にでかけ、夕方に帰り、家族で食事をし、子どもたちを風呂に入れ、少し過ごしたら歯を磨き上の子と寝室に入るとたいてい一緒に寝てしまい、また次の朝が来るという生活が続いている。

 毎日必要なことをし、健康的なリズムの中で生活しているので、まったく傷つきようもない。働いて、食事をとり、こどもたちと遊び、早く寝る。

 贅沢なことだとは思うけれど少し退屈を感じていた。暇ではない。起きている間しなくてはいけないことがずーっと続いている。暇ではないのだけれど退屈だった。

 エイジングするには傷つかなくてはいけない。傷つくためには何かにぶつかったりする必要がある。おだやかに流れる日常のなかでは何かにぶつかることはそうない。

 なにかにぶつかってみたいと思う。傷がつくのはすこし怖いけど、あのときのこれ、というのを自分に残したいと思う。

 そうはいっても家族に迷惑のかからない範囲で、という但し書きがいる。うーん、しばらくは自分もゆったりとした流れに身を委ねるなり、家族のケースの中に入れておくなりするしかないのかもしれない。そもそも傷をつけて云々というエイジングの仕方をするライフステージでもないのかもしれない。

 

 でもやっぱりなにかにぶつかってしまって、傷がついてしまうようなエイジングにあこがれている。