凡庸

週一くらいが目標です。

感情がピタゴラスイッチのように転がっていった。

 なんの話をするにしても「今般のコロナウィルス流行の影響で……」と前置きをしなくてはいけないのが辛気臭いけれど、いま現在の生活にまつわるアレコレについては切って離せないので仕方ない。

 身の回りでコロナウィルスに感染して大変な目に遭っている人がいないので幽霊やお化けの類を怖がっているのではないか、もしかして壮大な狂言ではないかと思いたくもなるけれど、実際にり患して亡くなった方や入院されている方もいるということなので滅多なことを言うもんじゃない。

 

 で、今般のコロナウィルス流行の影響で僕が少し気にかかっていることのひとつは実家の祖父母のことだ。

 母方の祖母と父方の祖父がまだ存命で現在施設にお世話になっているのだけれど、今般のコロナウィルスの影響で実家の父母も施設へ行って祖父母と面会ができていない状態だそうな。

 まあ老人施設は免疫が弱っている人ばかりだからそうやってしっかりブロックしてくれているのは親族として安心できる。だけれど子どもたちがすくすく育っていくように、年寄りが小さくなっていくスピードもまた早い(と実家に帰省するたびに思う)。だから少しでも会って元気なうちに話をしたりしたい。でもその時間をコロナウィルスが奪っていく(そういう厄介な病気だ)。

 祖父は体調を崩しつつも新聞を読んだり周囲と話をしたりして認知はハッキリしている。祖母はそりゃ昔と比べれば痩せはしたものの割合健康で、だけれどやりとりがあやふやなことが増えてきたそうだ。

 家族としては(特に僕の母は)会えない間に祖父母の老化が進んでしまいやしないかと心配なのだ。

 

 遠方の孫である僕としても年度末あたりに一度、あわよくばGWにもう一度会いに行けたらと思っていた。しかし今般のコロナウィルスの影響で施設への面会はもちろん遠方への移動もままならぬ。

 家族に会えなくて寂しかったり退屈だったりしている祖父母を思うと何となくこちらも寂しい気持ちになるもので、何かいい案はないかと思っていた。

 

 遠い祖父母も気になるけれど、我が家は我が家で大変だ。

 子どもたちは保育園が休みになってしまい、ショッピングモールも大きな公園も行けないのでついつい家でテレビに子守を任せてしまう時間が増えた。

 平時なら保育園でお絵かきや工作をしてその創造力を大いに伸ばしてもらっているはずだけれど、想像力に乏しい親としてはどんなふうに取り組ませてやればいいものかと頭を悩ませている。

 

 祖父母と娘の問題を両方をまとめて解決してしまおうと、孫は、父は、考えた。

 長女に手紙を書いてもらって祖父母(長女にとってはひいじいちゃんとひいばあちゃん)に出そうと考えた。そうすれば長女にとっては字や絵の練習、そして手紙というイベントになるし、祖父母にとってもひ孫からの手紙は気持ちの慰みにもなるだろう。

 これは妙案である。

 

 そこで長女に「お願い」をした。家族に会えずに寂しい思いをしているひいじいちゃんとひいばあちゃんに手紙を書いてやってくれ。これは歯を磨きなさいとか手を洗いなさいとかの「しなさい」ではなく、それをやってくれるとお父さんが嬉しい気持ちになる「お願い」であるから無理にとは言えない。だけれども、どうかみんなのために手紙を書いてやってくれないか、と。

 長女は快く引き受けてくれた(ついでにおじいちゃんとおばあちゃんのぶんもかくね)。……のだけれど、案外筆が乗らないようで三通の手紙を書き終えたのはお願いしてから一週間近く経ってからになった。

 曾祖父母宛の手紙の文面はおおまかに僕が考えた。ちょっとズルな気もするけどまだ保育園児なんだしちゃんと字が書けるだけで十分だろう、句点だって使いこなすし。それに空いたスペースに長女に好きに絵を描いてもらった(かわいい女の子の絵)のでオーケーだ。

 僕も祖父母に手紙を書いた。一筆箋に簡単に書いた。それから長女と一緒に折り紙でハートと星を折って入れた。

 三通まとめて実家に送り、祖父母の分は両親にお願いして直接配達してもらうことにした。

 大変な時期だろうに郵便配達員さんは無事に長女の手紙を届けてくれ、自分たちにも手紙を書いてくれた孫に両親は喜んでいた。よかった。

 

 さて、その手紙を母は転送するのではなく祖父母のそれぞれの施設に直接持っていたようだった。

 そして祖母(母にとっての実母、長女にとっての曾祖母。ややこしい)の施設に手紙を持って行くと、施設の栄養士さんの好意で中庭越しに祖母の顔を見せてくれたうえにスタッフさんの携帯を借りて電話で話までさせてくれたそうだ。

 そのことについて母は

「私のこともちゃんと○○だって覚えてたし、痩せてなかったし発語もしっかりしてた。

嬉しくって涙が出た。ぜーんぶ○ちゃんのおかげ!ありがとう!!」

 とずいぶん感動した長女への感謝の連絡をよこしてきた。僕の差し金なんすけどね、全然いいけど。

 自分の母親に娘である自分を認識してもらって「嬉しくって涙が出た」のはきっと本当だ。母も祖母に会えない間に認知の能力がぐっと弱くなってしまって自分のことを忘れてしまったらと相当不安だったのだと思う。

 

 さて、母が感激してくれたことは僕にとっても嬉しかったのだけれど、それはそれとして何だかおもしろいことが起こっているなとも思った。

 うまく言えないが、ピタゴラスイッチのように意外なほうへ感情が転がって連鎖していった気がする。

 初めの感情は僕の「まとめて解決してしまおう」だ。それが長女へのお願いとなって、長女のよくわからないけどお父さんの頼みなら聞いてやるかという気持ちへと転がり、実家の両親に届いて、そこを通って祖父母へと届いて喜んでもらう。そういう転がり方をすると思っていた。ここまでで僕→祖父母へという矢印が色んな感情を経由したり寄り道したりしている。

 しかしそれで終わらず、意外な形で祖母から母へと気持ちが跳ね返ってきた。結果母は涙が出るほどに感激している。そして感謝の気持ちとなって長女のもとへ返ってきて「ピタゴラスイッチ」の旗が上がる。

 最初はビリヤードの球が次々に別の球を弾いていくようなイメージがあった。しかし今回のそれはそういう直線的な動きじゃないよなと思う。やはりピタゴラスイッチのように曲がったり上がったり下がったり球の色が変わったり大きくなったりするようなイメージがある。

 まさに紆余曲折だよなと思った。

 

 長女のもとへ返ってきて旗が上がると書いたけれど、その前に僕の気持ちが挟まるかもしれない。母からのお礼の連絡があり「涙が出た」というその文言を読み、涙ぐまんばかりにしている母の姿が浮かんだ。その時に僕もずいぶんと良い孝行ができたなあという嬉しさと長女に対する深い感謝が湧いた。初めは単なる僕の思いつきから始まった行為が紆余曲折して色んな気持ちがないまぜになった大きな満足となったのだ。

 

 今般のコロナウィルスの影響がなければわざわざ祖父母に手紙を書かせようなんて思わなかったかもしれないし、母の深い感激に間接的に立ち会うこともなかっただろう。こういうのも何がどう影響するかわからんなという話に入るかしらん。まあ無事に凡庸な日常へと戻って祖父母に直接会えるに越したことはないんだけど。

 

 そういうわけで、このブログはロボ家ちょっといい話をしたいのと、感情の連鎖は思わぬ展開を見せることがありそれはピタゴラスイッチのようだ、ということを言いたかったブログでした。