凡庸

週一くらいが目標です。

功徳を噛みしめ、昼めし求めて通りを踏みしめ

 昼飯を食べるのが憂鬱だ。職場の近くにはあまり気の利いた店もなく、例に漏れず牛丼チェーンかラーメン屋、マクドナルドくらいしかない。僕のフロンティア精神が足りないだけなのかもしれないけれど、町自体がなんとなく荒んでいるエリアで、すっきりした店が見当たらない。シュッとしてなくていい、せめてすっきりした店があってほしい。

 若くないな、と思う。牛丼とラーメンとハンバーガーが(あわよくばカレーライスも)あればそれで事足りた。魚や野菜を食べたくなるなんて微塵も思わなかった。いや、いまだって別に強いて魚や野菜が食べたいわけではない。わけではないけれど、食べないと何となく不安なのだ。そうそう毎日糖と脂質と動物性たんぱく質ばかり食べていてはいけない気がするのだ。そういう不安があるのだ。

 というか不安だけじゃなくて、実際体調も崩す。崩すっていうほど大げさじゃなくても、食べ終わった後に「ライスがいらなかったな」とか「あとでお腹がゆるくなりそうだな」とか「ぐったりとだるいな」とか、満足感を超える不快感を味わうことが多くなってきた。空腹に任せてライスをつけてはいけない年頃になってきた。

 だからどうせ食べるなら、健康上の不安や食後の不快感を気にして食べるくらいなら、野菜を食べて徳を積みたい。人が功徳を積むのは来世で報われるためである。野菜を食べるのは、今後の人生で健康に過ごすためである。そりゃ瞬間最大風速的な味でいえば、濃厚魚介ラーメンやダブルチーズバーガーセットや明太高菜牛丼の大盛やチーズカツカレーのほうが好きだ。大好きっす、今度はウソじゃないっす。

 でもそういう刹那的な生き方では功徳を積むことはできない。そういう悪徳は身を亡ぼす。それよりも心を込めて野菜を噛みしめ、厳しい修行に耐えることでまさに功徳が積み上げられていく快感を感じたいと思うことが多くなってきた。徳を積みたい。

 そういう思いを抱えながら、糖と脂質と動物性たんぱく質の悪魔(あと塩分も)がかわるがわる囁きかける通りを歩くのは憂鬱だ。

 弁当とか作ろうかな、言うだけだけど。それかやよい軒ができればいいのにな。