凡庸

週一くらいが目標です。

諦めてよく眠れるならいい。

 娘がまた体調を崩している。先日、昼過ぎに保育園から連絡があった。連絡先1が家内の携帯で連絡先2が僕の携帯だ(ちなみに3は家内の実家)。連絡先2にかかってきたということは家内が仕事中かなにかで電話に出られなかったのだろう。ちょうど僕はそのときその日の仕事のめどはついていたので、職場の人に言って早退させてもらった。

 電話で聞いていたとおり娘は機嫌よくみんなに交じって遊んでいた。とても熱が38度もあるようには見えない。僕自身がが38度も熱が出ていたら、明日の朝冷たくなってしまっているんじゃないかと心細くなるほどなのに、うちの娘ときたら元気で機嫌もよく、ご飯もしっかり食べたらしい。担任の先生と少し話をして一度家に帰った。

 保育園は37.5度以上の熱があると登園できない。なので先月入院した病院のなかにそういう子どもたちを預かってくれる病児保育の施設があり、そこに行ってもらうことになる。僕が予約の電話を入れると、医師の診断書的なものを持ってきてほしいとのことであった。それならと小児科の予約を入れたところで家内も帰ってきた、定時で上がって最短ルートをダッシュで来たらしい。病院は家内にお願いし、僕は買い物を引き受けた。

 

 病児保育は初日こそお母さんから引き離されるのを嫌がったくせに、翌日には家内が書類を書いている間からそわそわし「じゃあいこっか」と保育士さんに手を引かれるやいなや、お母さんにバイバイもそこそこにして保育室へ向かったそうだ。面倒を見てもらっている間も機嫌よく、歌を歌ったりおままごとに付き合ってもらったりしていて、その達者ぶりに保育士さんに褒められたと家内が言っていた。けがの功名というか、こないだの入院以来、優しそうな大人にはすこぶる愛想がよく、両親としても鼻高々だ。

 

 で、家内まで体調を崩した。のどの痛みを訴え、病院に行き、うがい薬と咳止めと抗生剤をもらってきていた。こうなると病人2に対し健康体1で分が悪い(娘は元気で機嫌がいいが、健康なわけではない、不思議な気がする)。

 なんとかこの土日の間に収束しないかなあと、ぼんやりと思っている。みんなよく眠れるといいんだけれど。

 

 自分も大人になったよなあ、と思う。ほんの少し前までは年齢こそそれなりだけれども、とてもじゃないが学生時代、子ども時代と比べて何かしらの変化があるとは思えず「あの頃のまんま」だと思っていた。そう思っていたのは、本当にほんの少し前のことだ。

 それが、多分娘が大きくなってきてからだと思う、まず社会的に大人になったなと思う。自分の役割の「親」というものがだんだんと板についてきたというか、人の親になったことによるあれもできないこれもできないということに対して折り合いがついてきたあたりで、社会的立場としての大人を実感する。

 そうするとその一種の諦めみたいなものが自分を若い人たちから切り離し、精神的にも大人になったような気がする。職場の同僚や後輩と歳が2つ3つしか違わなくとも、もう自分はあっち側にいない気がするし、実際もうそういう立場じゃあないんだろう。

 少し寂しい。最近繰り返し思うんだけど僕の30代は子どもや家族のための時間になるんだろう。いままでみたいに100%自分のための時間にはならないだろう(家族のための時間が回りまわって自分のため、とも言えるけど)。そういう覚悟はできつつある。そういう覚悟をしつつ、前向きに、その時間の中で少しでも「いい大人」「いい人間」になっていきたいと思っている。夜更かししてるけど。