Twitterの友だちが誘ってくれたので天王寺へ飲みに行った。
Twitterの友だちが、っていうのがすごいよなあ。世間一般的にどのくらいの人が理解を示してくれるんだろう。そもそも熱心にSNSを(特に実生活上の人間関係と離れたSNSを)更新してる人って、世の中で言えば本当に一部の人だと思っているのでわざわざ周囲でそんな話することもないなと思う。
妻も僕と同じくらいにインターネットは好きだけど基本的にROM(ってもう言わないのかな、read only menberだっけ)の人なので、そういう話をすると「仲良くなるとかあるんや」と半信半疑だった。
とはいえ、いかにして顔の知らない相手とインターネット上でメッセージのやりとりをし、あまつさえ会って話をしようというところまで交流を深めたのかということについては、僕としても説明のしようがなくまあ運とか縁とかなんかなと思う。そういうことがある。
なんにせよツイッター上でメッセージのやり取りをしたりクラブとかで顔を合わせたりしていたその友だちが、一度飲んで話をするのをメインで集まりましょうよと誘ってくれたのだった。そうやって誘ってもらえることがうれしいと思ったしありがたいなと思った。誰かからそうやって興味を持ってもらえることは大変にうれしいことだ。
僕を含めて三人、居酒屋らしいものをつまみながら話をしたのは楽しかった。特にその二人はクラブ好きが高じたのか近頃はDJとしてイベントにも出たりして、その話を聞くのは楽しかった。
このくらいの歳になって何かを上達しようと練習するのはとても偉いし、そういう気持ちになれるのはうらやましいことだと思う。僕なんかは時間が体力がとすぐ言い訳を見つけて逃げてしまうだろう。いい歳した大人たちが集まって部活みたいに何かを練習して上達を目指すのは、そういうものがあるのはとてもうらやましくて、話を聞くだけでこっちまでエンパワメントされる。薄めにしてもらったお湯割りがうまい。
恥ずかしがらずに自分の話ができたのもよかった。もともとプライベートと切り離してつぶやくために作ったアカウントで、これなら気楽に好きなことを言えると思っていた。
しかし、そういうアカウントでも徐々にインターネット上の人間関係ができてくるし、その人間関係にもぼんやりとした濃淡やグループが生まれる。しかも例えwebのほんの片隅にいようともインターネット上の発言は距離感ゼロでどこまでもフラットにとどいてしまうなと近頃になってつくづく思う、自戒している。
だから発言はどんどんパブリックな、安全なものを心がけるようになるのだけれど、それはそれで実体としてのプライベートな自分が置いてけぼりになっているような寂しさもあった(ような気がする(気がするだけだけかもしれない))。
だから実体を伴った声で、オフラインで、プライベートで、プライベートな話ができる安心感というのはとても心地よかった。
しかも元々インターネットでつながった相手というフワフワした心許ない関係だからこそ、それでも(だからこそ)相手は話を聞いてくれるのだという不思議な信頼感も、照れずに自分語りができた要因かもしれない。
もちろん、二人がいいやつだということは前提としてです。
楽しかった。また誘ってほしいし今度は誘いたい。カラオケDJ練習会にも遊びに行きたいしプライベートな話ももっと聞きたいしこれからも仲良くしてください。
この歳になって友だちですって難しいのよほんと。ありがたーい。