凡庸

週一くらいが目標です。

凡庸の凡庸(2023.12.02)

実家の両親が京都に行くついでに大阪にも足を延ばしたいから一泊させてくれないかと言うので妻に相談したらお許しが出た。

自分たちが実家にお世話になった時も、逆に両親がこちらへ来たときもスーパー銭湯が便利だ。まとめて風呂は入れるし食事も同じ施設で済ませてしまえる。帰ったら寝るだけだ。「まあここはうちで持つよ」なんて見栄張っても大して懐も痛まない(実家で食べさせてもらう食事に比べたら全然)。スーパー銭湯、いいですね。

両親の目的は孫に会うことで、孫に会って話をしたりちょっと遊んだりしたりできれば十分ぽい。あとは少し父に対する母の愚痴を聞いてあげるくらいか。

子どもたちにとって祖父母に会う効用はいろいろあるけれど、今回ふと思ったのは、ふだん家でガミガミと偉そうに怒っているお父さんだっておばあちゃんやおじいちゃんからしたら息子に過ぎないので、「お父さんが○ちゃんたちくらいのころなんてね…」などと情けない昔話をしてくれるのは、相対化っていうか、親だってそんな大したことないんだなと思えることかもしれない。お父さんたちの頭の上がらない人たちが私たちのことを褒めて甘やかしてくれるということが、祖父母と孫のいいところなのかもしれない。両親にああだこうだと言われながら、その様子をニヤニヤと見ている子どもたちを見ながらふと思った。

翌日、両親は孫に服だの靴だのをいろいろ買ってやって実家へと帰っていった。僕もちょっといいコーヒーの粉を買ってもらった。冬だしそろそろ温かいコーヒーが飲みたかったのだ。

 

さらにその翌日。買ってもらったばかりの服と靴を身に着けて、家族で都会へ出かけた。シルバニアファミリーの映画を見に行った。

映画の間、妻にはウィンドウショッピングをしてもらうことにして、映画は三人で見た。ちょうどお昼の回だったので、ポップコーンとジュースは三人でひとセットだけにした。入場者特典は子どもたちだけでなく僕の分ももらえた。大人でもシルバニアファミリーファンっているしな。

映画は善人(人?)しか出てこないかわいらしいお話で、うちにもあるシルバニア人形たちがああやって生き生きと動いているのを見ると、またお人形遊びも楽しいだろうなと思って見ていた。

(ただ、シルバニア「ファミリー」というだけあって、両親がいて、血のつながった子どもたちがいて、その「ファミリー」を愛することが最も素晴らしい!というメッセージは今の時代ちょっと想像力足りないよなと思う。シングル家庭や祖父母のもとで育つ子たちだっているんだから、そろそろシルバニア村のファミリーにももっと多様性があってもいいんじゃない?と思う。そういやよく考えたらシルバニアファミリーって大体が同じ種類の動物の両親と子どものセットだよなあ。

そろそろいいんじゃない?何の説明もなくバラバラの動物のファミリーとか、シングル家庭のファミリーとかの商品が出ても。そういう色んな家庭環境があってもシルバニア村の共同体という大きなファミリーがあれば自然にハッピーに暮らせるってことでいいんじゃない?(ってつまらんくらいに標準的ファミリーでやってる僕たちが言っても説得力無いわな))

 

映画を見終わったので妻に連絡して、途中ツリーの前で子どもたちの写真を撮ったりしながら、ショッピングビルのレストランフロアで合流した。お昼時には少し遅かったので待たずに入れたのがありがたかった。

入ったのはハンバーグレストランで、ポップコーンも食べたしと思っていたのだけど、ポップコーンが効いてるのはお父さんだけだったようで、次女はお子様セットをぺろりと食べるし、長女にいたっては大人用のメニューを食べたうえに僕や妻からも少しおすそ分けしてもらっていた。頼もしい限りだし、すっかりこういうお店でも世話なく食事ができるのが、家族として大きくなったよなあと思う。

 

そのあとは僕のアウターと妻のスカートを買うのに付き合ってもらって、その代わり次女のリクエストでみんなで焼き芋を食べて、長女はお土産にケーキを買って帰った。

次女は昨日おばあちゃんに買ってもらったイケてるブーツを履いてけっこう歩いたのだけど全然文句を言わなかった(もちろん長女は都会の様子に意気揚々と歩いていた)。

子どもたちが機嫌をよくしてくれていたおかげでずいぶんと楽しいお出掛けになりました。

 

そうだ。その都会へ出かけた日の明け方、急に左足の土踏まずにチクチクピリピリした痛みを感じて寝られなくなってしまった。寝ようとしても布団やなんかに擦れるたびに痛いので諦めて起きた。リビングまで歩くのもチクチクピリピリする。暗いリビングでスマホのライトで足の裏を照らしても原因は分からない。明らかにトゲの刺さったような痛みだけれどそれが見つからなかったのだ。

もう駄目だと思った。映画に見に都会へ行く約束をしていたけど今日一日は台無しになるし、もしかするとこのチクチクピリピリはずーっと続いて僕の人生そのものが台無しなるんだと思った。

悲しい気持ちで人生を諦めて左の足の裏だけ布団から出してウトウトして、妻を起こしてもいい時間まで待って、妻を起こして足の裏を見てもらった。「これちゃう?炙った針でとったるわ」と針を持ってくるので僕は、針!とビビッたけど妻は僕の足の裏にあった鉛筆の芯のカスのような黒い点を針の先で何度か撫でて「…いけた!」と取ってくれた。

恐る恐る歩いてみるとあの嫌なチクチクピリピリとした痛みは消えていた!ありがとう妻!家族の一日を、僕の一生を救ってくれた妻!ありがとう!

どうやら髪の毛のかけらみたいなものが、加齢の為に乾燥した足の裏の皮膚の内側に運悪く入り込んでしまったようで、妻はそれを見事摘出してくれたのだった。

それにしてもあんなに小さな、本当によーーーーく見ないと分からないような小さな髪の毛のかけらが、あやうく僕の一生を台無しにしかねないほどの痛みを引き起こすとは、何やら示唆的なものを感じた。たとえば社会は途方もなく大きなものだけれど、ちっぽけな一人の人間がその社会を機能不全にするような影響力を発揮するとか…。まあそういう無意味で大げさなことを考えるくらいに痛かったのだ。ありがとう妻。

 

そういうわけで我が家は楽しい週末を過ごすことができました。ハッピー。