アマゾンで日傘を買ったんですよ。
連日の猛暑。年々夏が暑くなって、熱くなって、屋外にいては身の危険を感じるほどだ。とはいっても基本的に日中は屋内でクーラーの恩恵を受けながら過ごしているから、まあ暑いらしいね、くらいの認識だったりする。
暑いのは通勤の行き帰りくらいなもので、それも長時間歩くわけではなく家と駅、駅と職場はまあ常識的な範囲内にある。
だから暑い暑いといいながらも、実際はそれほどでもないのかもしれない。
だから日傘を買ったのはもちろん暑さ対策というのが第一なんだけど、なんかこう、男性的なマチズモへの反発というか、自分なりのフェミニズムへの連帯というか、そういう意識もどこか働いている気がする。
ジェンダー男性である僕が昨今のフェミニズムの盛り上がりにどうやって賛同するかといったら、その一つはできる限り、気付く限りで「男らしさ」から降りてみることだと思う。それが日傘かよ、気楽なもんだな!と言われてしまえば確かにそうなんだけど、意外とこんなふうに一人ひとりが見えるところで生活の仕方を変えていくのも一つの方法なんじゃないだろうか。
ツイッターで「自分がバカであることを気付かされるのがメチャメチャ楽しい」というフレーズを見た。いいよなと思うし、そうだよなとも思う。フェミニズムってなんかそういうところがあって、いままで自分が安穏としてきた社会の半分がいかに暗かったのかを思い知らされることが多い。
そりゃフェミニズムも関係なく男女を隔てる壁は厚いっていうのはあるけれど、そういう情緒的なことはいったん置いといて、ここで言っているのは社会のシステムとか成り立ちみたいなものは、ずーっとジェンダー男性側ばかりが明々と照らされていて、というかジェンダー男性側こそがそもそも「社会」であるみたいなつくりになってしまっていて、そんなことにも気づいてなかった自分のバカさがいちいち新鮮だ。(気楽なもんだな!)
もちろん自分はフェミニズムにおいては、いわゆる下駄を履かされてきたジェンダー男性なので、以前は(あるいは今も)フェミニズム思想キツイなと思うことも多いし、ちょっと目を背けたいことも多い。
だってみんな相当怒ってるんだもん。怒りのエネルギーにあてられんのはそりゃキツい。もし「わかるよ」なんて言おうものならぶん殴られても仕方ない(だってわかれるわけないんだから)ので、妻とそういう話になるとちっちゃい声で「すみません」と言うか、ふわっとその席から離れようとするしかなかった。キツい。
だから今でもキツいんだけど、それでも今は多少なりとも「そうだよな」と思えるようになってきた。「わかる」とは口が裂けても言えない/言うべきではないので、「そうだよな」です。この「そうだよな」が今のところ僕にとってのフェミニズムへの連帯なんだと思う。
「自分のバカさに気づいて楽しい」と「そうだよな」の気持ちで、スニーカー通勤したり日傘さしたり、次女が恐竜欲しいプラレール欲しいって言ったら買ってやったりして、新しい社会に連帯しながら生活をしているわけですよ。
こういうのは妻と結婚して女の子の親になったからだよなあ、と締めようと思ったけど、なんかそうやって家族に頼るのも多分ダサいな。でもそういうきっかけがないと気付けなかったかもしれないしなあ。アップデート難しいっすね。
とはいえ、日傘はなかなか助かる。「日傘使ってるんですね」と職場の人にも声を掛けられた。生活をしているわけですよ。
(「原始女性は太陽であった」と日傘とがうまくかからんかなとタイトル考えたけどダメだった)
(「Bad B*tch 美学 Remix」みたいなイカす曲が自分たちの曲だって思えるのうらやましいですね)