凡庸

週一くらいが目標です。

思い込みに基づく押しつけがましいごめんなさいの発露

 次女はひょうきんでおもしろいやつなんだけれど、それにしてもよく叱られている。まあ叱っているのは親である僕たちなのだけれども。

 長女がわりと聞き分けがよい性格で、また言葉の理解が達者だったから子どもに求めるハードルが高くなってしまってるのではないかと反省することもある。でもそれにしたって次女は何度も同じことを言われないと聞かないし、どうも一回目や二回目の声掛けに対しては「まだいけるんちゃうか」と聞こえないふりをしてその行為を貫徹しようとしている節があるのではないかと感じることが多い。

 

 先日も次女は叱られていた。野菜の入った味噌汁をいつまでたっても食べようとせず、挙句の果てに「おなかいたい」なんて言ってオエオエえずきながら食べようとして親たち二人がかりで叱られてしまったのだった。

 ついに妻から「あんたにもうご飯つくりたくない!」と宣告され、泣きながら「いやや!いやや!」と食い下がるも「知らない!」と打ち切られてしまった次女を「こっち来なさい」と引き取る形で僕がお説教をすることにした。

 ○ちゃん、そういうときはいややじゃないでしょうが。そういうときに先に言わなくちゃいけない言葉があるでしょう。……わからないの?ごめんなさいでしょ!なんでごめんなさいが言えないの⁉

 「…だって『ごめんなさいは?』って言われなかったから」

 僕はちょっとびっくりした。そうか、この子にとって「ごめんなさい」は「ごめんなさいは?」という合図に呼応して使う言葉なのか。それはまずいぞ。そうじゃなくてごめんなさいは自分から相手に謝るときに使う言葉なんだから、そういう感じ方をしているのならそれはまずい。

 だから次女には「人から言われたからごめんなさいするっていうのはズルだよ。何でごめんなさいするのか分からないのにするのはわるいごめんなさいだから、ほんとうのごめんなさいじゃないんだよ」

 

 と伝えながら、じゃあ「ほんとうのごめんなさい」って何だろうと思ってしまった。

 

 例えばいま次女に「ほんとうのごめんなさい」を教えられたとしても、それも結局「ごめんなさいは?」が相手から言われなくなったというだけで、相手の秘めたる「ごめんなさいは?」のニュアンスを自分から用心深く先取りしてタイミングを見計らって言う方法を身に着けるだけではないのだろうか。しかもそれは僕を含む大多数の大人がやっているごめんなさいなのかもしれない。

 そういう社会的調停という目的ではない、内から湧き上がる感情の発露としてのごめんなさいとはどんなごめんなさいなんだろうか。そしてそんなごめんなさいがあるとしてそれは誰かに 教える/教えられる ことが可能なんだろうか。

 そういえば國分功一郎の『中動態の世界』にもそういう話があったな。

 

 僕としてはそういう「ほんとうのごめんなさい」の鍵は相手への想像力や共感にあるんじゃないかと思う。

 相手の心情を想像し、もし自分だったら本当に辛くて悲しくなるような心情、そんな心情に相手がなってしまった原因の一端が自分にあるかもしれないと分かった瞬間のやりきれなさが、ごめんなさいや申し訳ないという気持ちなのではないかと、次女に話をしながら思った。

 だから「ほんとうのごめんなさい」というのは、相手の許しやそういう往還するコミュニケーションを期待する感情ではなく、思い込みに基づく押しつけがましい感情の発露なのかもしれない。

 (でもごめんなさいが「思い込みに基づく押しつけがましい感情の発露」なのだとしたら、先に述べた「用心深く相手の秘めたる『ごめんなさいは?』のニュアンスを自分から先取りしてタイミングを見計らって言う」こととの違いがほとんど無いようにも感じるなあ。…いやでも違うよなあ)

 

 次女にそういうややこしい言い方をしてももちろん伝わらないので「せっかく家族の為を思って作った味噌汁をあんな風に扱われたお母さんの悲しい気持ち」を何とか次女に分かってもらおうとしばらく話をしたのだけれど、いまいち手ごたえがなかった。結局「あなたを叱らなくちゃいけなくなるときは、お父さんやお母さんは悲しい気持ちになっている。これ以上悲しい気持ちにさせないで」というところでまとめた。

 次女は少しべそをかきながら「うん」と言ってたけれど、わかってるんだろうか。

 

 その間長女はちょっと気まずそうにしつつ、気配を消しながら『ガラスの仮面』を読んでいた。こんなふうに長女は次女が叱られている間は敏感に空気を察知し、あえて素知らぬ態度を装っていることが多い。そんな彼女の気持ちを思うと「ごめんね」という気持ちになったので、長女にはそう伝えた。

 さらに次女はといえば、その後歯を磨いてもらうのにニヤニヤとふざけた踊りを踊って(切り替えが早いのもあるけれど、多分わざとおどけてこちらの機嫌をうかがったりほぐしたりしようとする、そういう生来の狡猾さやずる賢さを次女には度々感じる)いたので「まだお父さんはちょっと怒っているからね」と釘を刺しておいた。

 

 この姉妹の違いを見ていると、ほんとうに子どもっていうのは育てたように育つわけじゃないなと思う。