凡庸

週一くらいが目標です。

Weblog for ”Magazine for City Boy (and City Girl)”

 ときどき雑誌のPOPEYEを買うので大阪在住の既婚子持ちの三十路だけれど心はcity boyだ。いいですよねcity boy、僕もcity boyでありたいと常々思っているのでPOPEYE全体になんとなく通底している雰囲気が好きです。

 ただPOPEYEの何がいけすかないって、どんな特集だろうと結局全部東京の話しかしないところだ。当然みんな東京に住んでるか、住んでないなら憧れてると思ってやがるところがいけすかない。

 あまつさえ、毎年4月ごろになると必ずと言っていいほど「東京ガイド」特集を組む。city boyに憧れて4月に上京してくる人たちを当て込んで毎年こんな特集を組んでるのはよくわかるんだけれど、大阪に35年ローンで家を買った三十路過ぎの既婚子持ち男性には全く縁遠い話で、まあそもそも普段のPOPEYEの購読層から外れてんだろっつー話なんですが、それにしても疎外感がある。あーはいはい、東京ね、まず日本っていったら東京ですよねー、それ以外に住んでる僕らはMeets Legional読んでたらいいですよねー(また天満特集かよ!)。

 POPEYEは特集によって買ったり買わなかったり立ち読みすらせずに次号の特集は何かしらんと見るだけで終わったりするんだけど、そういうわけで4月のPOPEYEは特にスルーしていた。

 

 とか言って、こないだの東京特集を買った。どういう心境の変化か知らんけど買った。Twitterのアカウントをフォローしていて、記事や写真をチラ見せしてくれるんだけど、それですこし興味を惹かれたんだと思う。

 読んでみて、なんだか面白かった。イメージする東京(東京カレンダーみたいな東京)じゃなくって葛飾?とかの下町なんかも特集してて、それって東京である意味ある?みたい町で、このくらいの町なら大阪にもあるんじゃない?、と思いつつじっくり読んでしまった。

 いけすかない東京の話なんだけど、全然東京っぽくなくて、それでも読み応えっつうのか読む楽しさは普段のPOPEYEで、東京っぽくなくてもcity boyっぽさが成立している。東京じゃなくても(東京なんだけど)city boyは成立するのだ。よかったな大阪その他地方在住者たち!

 

 結論から言ってしまえばcity boyの在り方とは何ぞやということに気付いた。

 city boy的な在り方とは、「自分の生活に対する愛着」であり、「身の回りのものを十分に愛し、物語を添えてやる態度」なのだ。

 

 東京にはモノがあふれている。そのうちのどれか一つを手に取る。手に取ったものに愛着し、物語を見出してやる。どうも僕がPOPEYEという雑誌が好きなのはそういう部分らしい。

 だから住んでる場所が東京らしくなくても、東京じゃなくても、控えめに言ってもど田舎でも、あるいは思いっきり東京だったとしても、city boyであることはできる。city boyであるためには、まず自分の身の回りの生活(すなわちこれが"city")をきちんと見つめなおして、そこに含まれている要素をきちんと一つ手に取り、物語を見出したり添えたりすることが必要なのだ。

 近所で服を買おうにもイオンに入ってるユニクロくらいしかなくたって、自分にとってのイオンという場所をきちんと見つめて物語を見出してやることはできるし、ユニクロで一枚を選んで手に取ったTシャツにだって選んだ瞬間から、あるいは来ているうちに物語を添えてやることは可能だ。大事なのは、まず自分にとっての”city”=生活にきちんと愛着を持つことなんだと思う。

 この気付きはめっきり人生の中心が「生活」になってしまって、そこからの逸脱はほぼ起こらない日々を送る僕にとって天啓だった。だって日々の生活に愛着を持って、物語を見出すことで、僕の生活が僕にとってのPOPEYEになるわけだし、僕は僕基準でcity boyとしての振る舞いを堪能できるのだ。

 「city boyたるもの毎日清潔なTシャツを着たいから、遠慮せずに毎日ガンガン洗濯できる気安さがいい。流行りのビックシルエットじゃなくてあえてジャストめを狙うと、ゆったりサイズで着たい彼女とシェアできていいんじゃないかな。―スーピマコットンTシャツ 780円(ユニクロ)」みたいな。

 city boy的感覚で周りを見渡すと、生活の一粒一粒に愛着が生まれる。見過ごしていたモノにも物語があることに気付く。

 

 そういうことが分かったので今後とも、イオンのユニクロで服を買い、フードコートで家族とシェアしながら飯を食っている三十路の僕も、city boyを名乗っていこうと思います。

 生活に愛着を、モノに物語を、心にcity boyを。