凡庸

週一くらいが目標です。

ディスプレイの中に配分した現実感の正当な分け前

 またブログの間隔が空いた。日々いろいろあるのでできるだけ書き残しておきたい気持ちはあるのだけれど間隔が空いてしまった。ずーっとゲームをしていたのだ。アサシンクリードオデッセイ。寝る間を惜しんで古代ギリシャを旅していた。難しいわけじゃなかったけれどとにかくボリュームがあってなかなか終わらないゲームだった。

 もうちょっと若いころ、学生のころなんかは、ゲームは楽しいけれど「こんなことしてていいのか俺」という気持ちがついて回っていつも後ろめたさとセットだった。

 ゲームでレベルを上げても人生を何ら進めてくれるものではない。もっとこう前向きに勉強するなり自己研鑚に励むなり周囲の人々と交流を深めるなり、若い自分にはもっとしなくてはいけないことがたくさんあるような気がしていた。それでもゲームばかりしているのは、現実逃避をしているような罪悪感がつきまとった。

 近頃、ゲームを楽しむことにとても肯定的でいられる。俺はゲームが好きなんや、楽しいんやと素直に受け入れられる。それはたぶん、けっこうちゃんと生活しているから。仕事をしたり家庭生活を営んだり、僕はけっこうちゃんと生活している気がする。

 その、ちゃんとした生活の中にに生まれる隙間の時間を、正当な自分の分け前としてゲームに費やしている。自分の時間の使い方をいろいろ試してみたけれど、子どものころからやっているだけあって、ゲームが一番没頭できる。

 こうやってなんの後ろめたさを感じないでゲームができるのがすごく新鮮だ。ゲームなんて時間の使い方として下の下だと思っていた。だってデザインされたとおりにキャラクターを動かしていけばクリアできるようになっているのだから(そうじゃなければゲームが成立しない)、一見どんなに複雑でも映像が綺麗でも、結局は子どもだましの迷路をなぞって喜んでいるのと一緒だと思っていた。それに没頭してしまう自分を、どこか現実にちゃんと向き合えない情けないやつだと思っていた(特に高校生、大学生の頃)。

 

 

 でも最近になってようやく、僕がしていたのは単純な迷路じゃなくてもっと積極的な「冒険」や「旅」だったのかもしれないと思うようになった。僕は確かに新しい町の武器屋で腕組みをしながら悩んでいたし、仲間たちにも仲のいいやつとそれほどでもないやつと(こっそりちょっと好きな人)がいたし、魔王の待つ部屋の扉を本当にドキドキしながら開けていたのだった。

 それは正しい意味で現実逃避だった。ゲームをやっている間は現実じゃない世界で悩んで苦労して楽しんで生きていた。問題は現実世界にやらなくてはいけないことがいくつかあったということで、別にゲームの世界がくだらないとかそういうことではなかった。

 結婚してて子どもが二人いる。それでも僕は、夜な夜な古代ギリシャの世界で武器を選び、選択肢に悩んだ結果登場人物を助けたり死なせてしまったりし、心の中で「さあ行こう」とか言いながら新しいエリアに足を踏み入れている。

 こうやって本気出してゲームができるのはひとえに子どものころからの修練の賜物である。ゲームって年取ってからでもできそうだし、それこそ現実の僕は膝や腰が悪くなっていても、ゲームの世界で大冒険できるんなら、ゲームが好きでよかったし、これからはもうちょっと肯定的にゲームと付き合っていこうと思う。現実生活に支障をきたさない程度に。