凡庸

週一くらいが目標です。

がんばれ紙の本。

 本屋が不振だっつって、年が明けてからそのことをまさしくわが身のこととして身につまされている。住んでいるエリアのあちこちで店を開いていた小さなチェーンの本屋が一斉に店を閉めてしまった。破産したそうな。おかげで職場から家までのルートに一軒も本屋がなくなってしまった。これはとても困ったことだ。

 右も左もわからずに大阪に来てからずっと心の支えだったスタンダードブックストアも4月でなくなってしまうそうだ。「さすが都会にはこういう文化的な店がやっていけるんだなあ」と思っていたのに。

 僕たちは本屋がやっていけない町に住んでいる。本屋がやっていけない時代に生きている。

 千日前のジュンク堂ドン・キホーテにされたときの絶望はいまもまだ続いている。

 

 とか言って、まだ自分も本にお金をかけ足りないのかもしれない。常に何かしら読む本がある状態が続いているけれど、もっとペースをあげて、借りたりせずにちゃんとお金を出して、もっともっとお金をかけなくちゃいけないのかもしれない。

 本を買うのは勇気がいる。本はお金がかかるし、時間もかかる、場所もとる。お金を出したからにはちゃんと最後まで読みたい(図書館で借りた本はそうでもない)。でもその本が面白くなかったら最後まで読むのに時間がかかる。高い本は場所もとるからそう気軽にポンポンと買えない。

 だから本屋で買い物をするのは時間がかかる。どの本を読むのか、これからしばらくの時間を共にする(大げさに言えば寿命を捧げる)本だからじっくり選ぶ。

 

 そうそう、こういう「じっくり選ぶ」って本屋ならではだと思う。

 欲しいと思っていた本って、こんなこと言いながら実は本屋にはないことが多い。始めからこれ、と決めてる場合はAmazonのほうが早い。でもそこまで熱心な読書家ではないので、だいたい本を読みたい気持ちはなんとなくだ。その「なんとなく」にしっくりくる本は、やっぱり生の本をざーっと眺めてフィジカル的に出会わないと見つからないと思う。

 だから僕には実店舗の本屋が必要だ。できればちょっと癖のある選書をしてくれる本屋の。本屋にはキュレーターとしての役割を求めている。(あのDJは自分の知らないいい曲をかけてくれる!みたいな)

 

 あと雑誌を見たいんだよなー。好きなんですよ、雑誌。POPEYEとかMeets RegionalとかGO OUTとかMONOQLOとかHobby Japanとか映画秘宝とかダ・ヴィンチとか。さすがに毎回全部買えないんで、申し訳ないけど立ち読みしてる。パラパラっとでいいから立ち読みさせてよ、本屋さん、たまに買うから。

 家ん中でふっと手持無沙汰になったときに読める雑誌があると、なんとなくリッチな気分になる。今月号のPOPEYEは台湾特集で、この先台湾に行く予定なんて全くないんだけど、ちょっとコーヒー淹れて細かい字のところとかも読んだりしてるととても楽しい。いいなあ、台湾。数年後に結婚10周年になるし、もうちょっと大きくなった子どもを実家に預けて家内と2泊3日くらいで行けないかな。

 そんなPOPEYEの台湾特集だって、本屋でパラパラっと見なかったら買わなかった。だって台湾いかねーし。「人はある程度ネタバレしてるものにしかお金を払わない」ってどこかで聞いたことあるけど、金言だと思う。というわけで本屋さんにはちょこっと立ち読みをさせていただきたい。

 

 雑誌、いいよなあ。インターネットも好きだからだらーっとスマホを見たりもしてしまうんだけど、最近のインターネットってあんまり未知のものに出会えない気がする。自分の好きなもので固めてるから、自分の好きなもの以上のものにアクセスするのはとても大変になってる。

 一昔前には「ネットサーフィン」なんつう言葉もあって、まさにその当時の間は「なんじゃそれ」と思ってた。でも今になって思えば、たしかにサーフィンだ。サイトのリンクからリンクへたどっていくうちに、何か変なところへ迷い込んだりもした。すごい面白いサイトが次々に見つかるときなんかは「いい波きてたな」って感じだった。でもいまは違って、googleで検索したサイトで行き止まりだ。リンク集も○○同盟もない。

 なんだっけ、雑誌だ。雑誌は購入してしまえば一つのパッケージだから、始めは興味なかったページもなんだかもったいないから読む。読むと何となく琴線に触れる気がする。いい雑誌はそれ一冊で一つの世界観を共有しているから、興味があった記事もなかった記事もどこかでつながってるせいだろう。

 

 なんつうか、本屋も雑誌も、ちゃんと誰かが面白いものを選んでまとめてくれてるところがいい。google検索時代の現在は、自分の知らないものにいかに出会うか、知らないものを面白がれるか(面白がれる状態でいられるか)って大事だから、やっぱりそういう出会いをさせてくれる場として本屋も雑誌も大事だと思う。

 あと、お父さんとして子どもたちにそういう出会いの場を作ってあげるためにも、いまからきちんと「本棚」を育てていかなくちゃいけないと思ってる。本を買って本棚に収めるとき、数年後その前に立っているかもしれない子どもたちを思い浮かべている。…立っててくれるかなあ。とにかくそういう機会だけは作っておかなくちゃと思っている(ので新しい本棚を買い足したいって言ったらお許しが出るだろうか)。

 

 がんばれ紙の本。それから今度はもっとちゃんとお金使うから帰ってきて、天牛。