凡庸

週一くらいが目標です。

タージマハルに沈む夕日は怒りと矜持で真っ赤に燃えていた。

 インド料理屋のライスがよく炊けていた、という話。

 

 職場の近所に新しくインド料理屋ができた。僕はカレーが好きで、それも大好物だなんだと大騒ぎするつもりもなくただ心穏やかに精神的に寄り添うような思いでカレーが好きで、しかもナンとカレーのセットがランチルーティンに組み込まれると思うと、これからの日々の充実を期待してしまう。カレーに、ナンに、そしてラッシーだ。

 職場の同僚と行った。外国人の店員(おそらくこういうインド料理屋で働いている外国人店員の85%はネパール人だと思っている。店のポスターにもインドビールのとネパールビールのとがあった)に促され、とりあえずサラダとナンだけがついた日替わりカレーセットを頼む。様子見で辛さは「ふつう」だ。

 出てきたナンの大きさに胸が躍る。そうそうこれこれ、とちぎってみると思ったよりふかふかのもっちりだった。ナンにカレーをディップして食べてみる。おいしい。

 「おいしい」と言っても、田舎育ちで舌がバカなのでたいていの料理が「おいしい」からスタートするうえに、カレーは間違いなく「おいしい」以上のものだと思っている。だから今回の「おいしい」はもちろんポジティブな感想には違いないのだけれど、とりたててどうのこうの言うわけではなくただ「おいしい」という感じだった。辛さもメニューにある通り「ふつう」だった。むしろナンが甘く、おまけに「『ふつう』といいつつ辛かったらどうしよう」と頼んだラッシーも相当に甘かったので、辛さは感じなかったといってもよかった。それでもやはり職場から徒歩で行ける範囲にインド料理屋があるのに心躍るのは変わらなかった。

 

 それほど日をおかずしてもう一度行ってみた。田舎者なので「おれの職場の近くにはインド料理屋があるんだぜ」と思うと行かずにはおれなかった。今度は一人で行った。初めて行った時には同僚と一緒だったのでイキってると思われたくなくて一番安い日替わり定食を頼んだけれど、今日はBセット、日替わりカレー、ナン、サラダ、ドリンクに加え、チキンカレー(つまりカレーは2種類も楽しめる、2種類も!)とライスとタンドリー手羽元もついてくるイキったセットを注文した。前回の辛さを「ふつう」にしたところ「ふつう」だったので、今回は「辛口」を選んだ。辛かったらどうしようと思っていた。

 期待した2種類のカレーはどっちがどっちだかよくわからなかった。というかそもそも「日替わりカレー」についてなんのインフォメーションももたらされず、バカ舌の僕には先日訪れた時とどう日替わっているのかすらわからなかった。イキって「辛口」にしたものの、やはりナンのしっとりとした甘みとともに口に入れてもそう辛さを感じず、むしろココイチの1辛のほうがなんぼか辛い。

 

 決定的だったのはライスだった。インド料理屋なのではじめはサフランライスというか、あのターメリックで黄色くなった、パラパラのライスを期待していた。出てきたの小さく盛られた白米。見当が外れたが、ナンばかりも何なのでライスを口にした。

 

 めちゃくちゃよく炊けているのである。

 どんな炊飯器を使っているのかしらないが、米は一粒一粒がしっとりとつややかで、ほどよい粘り気と噛めば噛むほど甘みが増すかのように感じられる。外で飯を食ってこれほどよく炊けた白飯に出会えることは少ないのではないか。

 しかしここはインド料理屋だ。言わせてもらえば、何お前うまく飯炊いたぁるねんコラ、である。そうじゃないだろう、そこはがんばるところじゃないだろう。なにを日本人の味覚に迎合するか。

 

 とここまで感じてはたと気づいた。僕がこの店に感じていた違和感の正体がはっきりしたのだ。

 つまり、このインド料理屋は日本人の味覚に媚びきっているのである。

 インド料理屋に入るのはどこかジェットコースターに似ている、と言ってしまうのは大げさか。しかし大なり小なり人はスリルや非日常を求めてインド料理屋に入る。味がわからないくらいの辛さだろうとスパイスの香りが強すぎようといくらか舌に合わなかろうと「さすが本場は一味ちがうな」とそれはそれでうれしいのだ。

 ところがこの店ときたらそんな我々の期待を裏切るかのように、こちらの味覚にがっつり合わせにきている。。

 確かに、もっちりと甘いナン、辛すぎないカレー、よく炊けた白米は美味いし食べやすい。だけれどそんな料理が食べたいのならそもそもインド料理屋には来ない。もっと無難に身の丈に合った料理を食わせる店はいくらでもある。そうじゃないんだ僕らが求めているのは。インド料理はスリルなんだ、非日常なんだ、アミューズメントなんだ。

 

 そういう疑いの目でみるとメニューにわざわざ書いてる「薬膳カレー」も胡散臭い。タンドリー手羽元、というネーミングセンスにも頷ける。

 しかし店員さん(おそらくネパール人)に罪はないと僕は思っている。彼らにここまで細かく日本人向けの痒い所までに手が届いた料理を提供できるとは思えない。僕はここに日本人オーナーの影を感じた。おそらくはこのオーナーが命じて、ネパール人店員に日本人向けインド料理を作らせているのだ。ただでさえ、ネパール人でありながらもインド料理屋の看板で店をやらされている彼らのプライドをさらにその上に踏みにじるような所業である。

 僕は彼らネパール人店員たちに、もっと怒りを感じてほしいと思う。なぜ遠い異国の地まではるばるとやってきて、かくまでに祖国への尊厳を侵されねばならないのか。もっと怒れネパール人、怒ってその怒りを料理にぶつけるんだ。

 そのとき初めて僕らはスリルに出会えるだろう。インド料理屋にもっちりとよく炊けた白米はいらない。欲しいのは舌も身も焦がすようなスリルだ。

水切れの悪いワイパーで視界を拭うのとふと晴れ間が覗くのを待つのと。

 ときどきやけに気分が塞ぐことがあって、ここ最近がそれだった。それなりに家事とかもやって生活をするんだけどなんか感じ悪くて、家内にも申し訳ないと思いつつニヤニヤする気にもなれずに反抗期みたいに目を合わせずにおやすみって言っていたりしていた。

 

 家内が、結婚して神戸に引っ越した友達に会うという話になり、ついでだからと僕も娘も一緒に3人で神戸に行った。また神戸だ。家内が友達と会っている間に僕たちはアンパンミュージアムに行くことにした。録画しているアンパンマンの途中で、アンパンマンミュージアムのCMが流れるたびに「またいきたいねー」とうるさいので連れて行ってやりたいと思い、本当はクリスマスの少し前に行ける予定があったのだけれど家内も娘も体調を崩してしまってお流れになっていたのだ。

 自分が妙に不機嫌なのも自覚していたし、それをなんとなく家内が察知しているのもわかっていた。前日の晩、ガソリンを入れに出かけると告げて出ていこうとすると、後ろから「なんか元気ないし外でコーヒーでも飲んで来たら?」と声を掛けられた。うん、とコーヒーを飲んでくるのか飲んでこないのだか自分でもよくわからない返事をして出かけた。少し遠回りして帰ったけどコーヒーは飲んでこなかった。帰ったら娘は家内にお風呂に入れてもらっていた。

 

 寝つきが悪かったうえによく眠れなかったせいで翌朝は思ったより寝坊をしてしまった。家内に娘の支度をしてもらった。朝から雨が降っていた。前に神戸に行った時ほど高速道路は混まなくてよかった。ワイパーのゴムが悪いせいで、拭っても拭ってもフロントガラスの視界が悪かった。

 

 到着した時間と家内の待ち合わせの時間がだいたい同じだったので、家内はそのまま待ち合わせ場所へ、僕らは入場ゲートへ向かった。娘が「おかあさんもー」とごねるかと思いきや全くそんなことはなかった。意気揚々と順番待ちの列に並んだ。大人一枚、子ども一枚、それぞれ1500円ずつ。アンパンマン顔のシリコンコースターを2つと、娘には首から下げられるアンパンマンの小さなでんでん太鼓をもらった。コースターやチケットは娘が背負っているリュックサック(中には替えのオムツやハンカチや食事の際のエプロンが入っている)に入れて、でんでん太鼓を首から下げてやった。

 かねてよりご待望のアンパンマンミュージアムとあって、娘はえへへへへと笑いながらぴょんぴょんとはねて喜んでいた。リュックと上着を預かってやった。あっちをみようこっちもみよう、と娘は僕の手を引きながら混雑する館内のマスコットを見てまわったり、アンパンマン号の列に並んだり、ちょっとしたすべり台を滑ってみたりと満喫してご機嫌だった。たのしいねぇ、たのしいねぇと何度も言っていた。

 時間をおいて色んなキャラクターが館内にグリーティングに来てくれた。「お写真撮られるおうちの方は一歩おさがりくださーい」とスタッフのお姉さんに制止される大人たちの間をもぞもぞと潜り抜けて、娘も色んなキャラクターに握手やハイタッチをしてもらっていた、ドキンちゃんにはクルンクルンの天然パーマを褒めてもらっていたみたいだった。そうやって親の手を抜けて自分で他の子に混じってキャラクターに触りに行く様子が、なんだか大きくなったなと感じた。ただそうやって調子に乗った娘はこの日2回ほど僕の姿を見失い、迷子になりそうになっていた。

 

 お昼ご飯も少し並んだだけで館内のレストランで食べられた。親バカだとは思いつつ、周りでそわそわしたりして親たちの手を煩わせている子どもたちと比べて、うちの娘は落ち着いて座って一生懸命に食べていて偉いなと思う。「よく食べてえらいね」「おいしいね」と声を掛けてやると顔をくしゃくしゃにして笑顔をつくる。その顔をスマホで撮って家内と実家の母に送った。

 なんだかそういう顔を見ていて、娘の午前中のはしゃぎようを思い出して、ふと自分の気が多少塞いでいようが大したことじゃないという気分になった。

 

 ご飯を食べてミュージアムに再入場した。お昼からももう一度のんびりと館内を見てまわったり、ちょっとしたショーを見たり(場所取りして待っていなかったので後ろのほうから肩車をして見せていたのだけれど、さすがに13キロを5分も10分も続けて肩車をするのは背骨に悪かった気がする)しているうちに家内と約束していた時間になった。家内の友達というのも僕も娘も何度か会っている人だったので、すこしみんなでお茶をした。プリンを食べさせてやるとか何とか言われていたはずなのに、座れた店に適当なデザートがなかったせいで食いっぱぐれた娘は「ぷりん…ぷりん…」と小さな声で恨みっぽく訴えていた。

 

 帰りの車では娘はすぐに寝た。僕たちは行きの車内より少し会話が弾んだような気がする。帰り道も相変わらずの雨だった。覚えているうちに早いところワイパーのゴムを替えたい。

凡庸の凡庸2

 ようやく年賀状ができた。ポストに投函するのは大晦日だ。我ながら呆れるけれどもこれで30年生きてきたのだ、三つ子の魂とはいうが30じゃあ後に引けない。来年で30になる、僕も家内も。

 

 先日1万円くらい出してセーターを買った。いい歳をしてユニクロしか服を売る店をしらないのもよくないと思って流行りのセーターを買った。着心地や暖かさはとくに変わりはないけれど、何しろ「流行りのものを着ている」という安心感がいい。下手したら学生時代の服が未だにワードローブに入っている(しかもユニクロ)ほどなので、そういう服を着ていると何だか自分がダサい気がして落ち着かない。

 いや、落ち着かなくなってきた。ウルフルズが歌っていたように「ダサいカッコはしたくない 歳はとらないように」という気分なのかもしれない。若いころは流行りを気にするほうがカッコ悪いと思って、あえて裾がボロボロになったジーンズに雪駄を履いて、その上に変な帽子をかぶったりして粋がっていた。でもこの頃そういう粋がる余裕がなくなってきたのだと思う。なるべくちゃんと流行りを抑えて無難な格好をしたいと思うようになった。あんな変な格好をして粋がって大学やその周りの町をウロウロしていた僕を、今になって少しカッコいいと思う。

 そうは言っても、流行りの格好をしているという気分は安心感があって、休みの日のたびにそのセーターを着ている。

 

 話は変わるけれど、この頃娘と仲がいい。今は家内と娘の間に僕の布団が敷いてある状態で、明け方になると娘が寝ぼけて僕の布団に入ってくるので一緒に寝ている。先日、試しに「今日はお父さんと寝よっか」と聞いてみると「おとうしゃんとねる」というのでそのまま家内には寝室から出て行ってもらい、二人でコソコソと話をしながら娘にトントンをしていた。次第にふとトントンをし忘れている自分に気付いたり、お互いの返事が遠くなっていったりするうちに、どちらが先ともなく寝てしまっていた。朝になって家内の「寝た?」というLINEに気付いた。娘が生まれて初めてこんなに穏やかに寝かしつけが成功した。これは我が家にとって感動すべき出来事である。

 寝かしつけだけではなく、もちろんご飯もシルバニアファミリーもレゴも公園遊びもお父さんと娘は一緒にいっぱい楽しんでいる。確かに心行くまでTVゲームでもして過ごしたいと思わないこともないが、これも人の親になった喜びだと思って我慢したり妻子の寝静まった夜中にこっそりやっていたりしている。なんにせよ父娘仲はよい。

(娘が生まれてから、仕方ないのだけど家内に投げかける視線が減ってしまった。近頃は減ったことすら慣れてしまった気がする。ときどき家内の顔を見てこんな顔だったっけと思うのだ。これはよくないなあ……。)

 

 そういえばサンタクロースデビューも果たした。プレゼントを調達して12月24日の晩に枕元に設置する。それだけ、案外なんということもなかった。惜しむらくは家内に贈るクリスマスブーケもカードと一緒にダイニングテーブルに置いたのだけれど、置いている間に家内がトイレに起きてきてしまったことだ。これは失敗だった。

 クリスマスイブにピザとチキンとシチューとケーキで腹を満たしたので、僕も家内も腹にもたれて(娘は知らん)、翌日のクリスマスには沖縄料理屋でソーキソバやゴーヤチャンプルーを食べた。これはこれでよかったと思う。

 

 書くことが無くなったのでおわり。来年もどうぞよろしくお願いいたします。