凡庸

週一くらいが目標です。

凡庸の凡庸(2023.11.26)

妻がゲゲゲの鬼太郎の映画の午前の会に行きたいと言っていたので、じゃあ間に合うように起きようっつって翌朝起きてみれば9:30だった。夜中の2:00過ぎまでゲーム(CoDMW2のキャンペーンモードが急にやりたくなって、やり始めたら止まらなくなった)をしていた僕がまず一番に悪くて、その次に自分の予定のくせにガッツリ寝ていた妻が悪くて、最後に親たちが寝ていることをいいことに僕たちを起こしもせずにアマプラにゲームにとしめしめとやっていた子どもたちが悪い。

悪いやつらばっかりで腹を立てながら妻を起こし、洗濯物を干し、みんなで朝ご飯を食べた。休日をやっていく気分がすっかり萎えて、朝ご飯を食べてまた布団でふて寝をしていると、上から妻と子どもたちにのしかかられて布団から追い出された。布団も外へ干されてしまった。

仕方がないので着替えて、先日買って重宝しているスティック掃除機でざっと掃除をした。それから空気清浄機のフィルターの替えを買っていたので、新しいのに取り替えた。ときどき空気清浄機も掃除していたのだけれど、新しいフィルターと比べると明らかに真っ黒で、こんなものを通している空気が清浄だったのかと不安になる。

なぜ空気清浄機のフィルターを買ったのかといえば、確かにフィルターの古さが気になっていたのは間違いないのだけれど、先日ジョーシンからチラシが送られてきて今なら買い物をした人にリラックマのブランケットがもらえると聞いて妻が欲しがったのが直接の理由だった。

お買い上げのお客様にと言われても、つい先日洗濯機ととスティック掃除機を買ったばかりの我が家に必要な買い物はない。でもリラックマのブランケットは欲しい。じゃあ空気清浄機のフィルターを替えるかということで購入してきたのだった。

そもそも我が家には妻が欲しがるものだからこの手のブランケットが100枚ぐらいあって、それを子どもたちが引っ張り出してはあちこちで巣作りの材料にするものだから、僕はしょっちゅうイーッとなっている。今日も20枚くらい畳んで押入れにしまったが、まだ10枚は畳んだだけでリビングの片隅に置いてある。

しかし妻がブランケットを欲しがらなかったら、今晩も汚れたフィルターを通した空気を吸うことになっていたと思えば、まあブランケットが500枚あるくらいはいいかと思う。車にも200枚積んである。少し大げさだけど、体感的にはそのくらいブランケットがある。

 

フィルターを交換して、次女と公園に行くことにした。秋らしい気候になって以来というもの、ここのところ毎週のように近所の公園に行って自転車の練習をしている。次女は本当は昨日も自転車の練習がしたかったのだけれど、僕は休日の出勤日で、妻は家の家事やらで公園に行くことはできなかったらしい。

長女は妻と図書館に行った。行く前に妻から火ばさみとレジ袋を持たされ「わが家の庭のようにふるまうのならたまにはゴミ拾いくらいしたらどうか」と提案されたので、それもそうだなと引き受けた。

次女はすっかりすいすいと自転車を漕げるようになっているので、車の通らない道路を見守りながら近所の公園まで行った。途中でタバコの吸い殻をつまんで拾った。

自転車の練習といいつつも、もう何か手伝ってやったり見守ってやったりする必要もないくらいだった。自転車の練習は不思議なもので、前の練習でもうちょこっとできなかったことが、次はいきなり初めからできたりする。少なくとも前にできたことを忘れてしまって下手くそになることはあまりない。これについては次女も「こぐまえはできるかな?っておもったけど、やってみたらかんたんだった」と言っていた。

あとはブレーキだけだな。練習中「あぶないと思ったらすぐブレーキかけなきゃ」と注意したけど、でもよく考えたら「危ない」という頭の信号が手元のブレーキを握りしめるという運動に結び付くには、人体の構造上なんの必然性もない。慣れてしまえば「危ない→握りしめ」の反応は無意識にやっているけど、まだ練習中の人は何度も反復して慣れる必要があるんだな、と気づいて「自分でたまにブレーキかけてみるんだよ」とだけ声をかけておいて、公園のごみを探した。

拾ってみると公園のごみの大半はベンチの周辺に落ちているタバコの吸い殻とコーヒーの空き缶、あとは何かのチラシで、子どもが捨てたようなお菓子の袋などは皆無だった。大人の捨てたゴミばっかりだ。そんなもんだよな。

子どもの自転車を見守りつつ手に提げた火ばさみとレジ袋でゴミを拾っているお父さんたる僕ははた目から見ると、はっきり言ってかなりイケていたと思う。実際自転車で通り過ぎるおばさまが小声で「ごくろうさんです~」と声をかけてくれた。公園ファッションで一番イケてるアイテムは火ばさみとゴミ袋です、まちがいないです。公園に行くたび毎回やるのもアレだけど、3回に1回くらいはやろう。いい天気で気分もいい。

次女は自転車のあいまにブランコを漕いだり、木登りをしたりして公園を堪能していた。近所の公園、ほんとお世話になってます。

 

帰って布団を取り込んだりしていたら、妻と長女も帰ってきた。お好み焼きでも買ってこようかと提案したけれど、スパゲッティをつくるよと言ってくれた。スプラトゥーンをやったり乾燥が仕上がった洗濯物を畳んだりしてできあがるのを待っていた。スパゲッティはトマトとツナのスパゲッティで、余っていたかけるチーズを全部入れたとかでクリーミーになっていて大変おいしかった。皿を洗った。

14:00過ぎに妻と次女を乗せて映画館へ向かった。別に次女は車に乗ってきたところでそのまま家に戻ってくるだけなのに、ポケモンのグレイシアのぬいぐるみを持ってついてきた。長女は借りてきた火の鳥ギリシャ・ローマ編)から顔も上げずに「いってらっしゃい」と見送った。

家に戻る車の中で次女となにかおしゃべりをしたのだけれど忘れてしまった。忘れてしまうなあ。

 

帰って子守をアマプラとSwitchに任せて昼寝をした。17:00ごろ妻のラインとアラームで起きて迎えに行った。今度は車中が一人だったのでパソコン音楽クラブのリミックスアルバムを何曲か聞きながら迎えに行った。映画はまあまあおもしろかったらしい。妻は中学生のころからジャンプの感想サイトをめぐるのが趣味だったという筋金入りの「他人の感想ファン」なので、これからはTwitterのネタバレ感想も気兼ねなく見れるのが楽しみであるというようなことを言っていた。

帰ると子どもたちはコタツに入りながら葬送のフリーレンを見ていた。

 

本当にめんどくさくて嫌だったけれど風呂の床を掃除しなくてはいけないという気持ちに駆られて風呂掃除をした。日ごろは湯を張る前に浴槽を磨くくらいでごまかしていた(し風呂では眼鏡をしていないので浴室の汚れはきにならない)のだけれど、本当に汚くなってしまう前に、せめて気になる程度のタイミングで掃除しなくちゃだめだよなあ!と気合を入れ直して掃除した。

シャッカシャッカとブラシで床を掃除しながら、我ながらこういうのが家族への愛だよなと思う。いや掃除くらい黙ってしろよという話ではあるけれど、別に家族からの褒めを強要しているわけじゃなくてただこうやってインターネットの片隅に書いているくらいだし許してほしい。ラッパーのZORNが「洗濯物干すのもHIPHOP」といいことを言っていたけれど風呂場の床磨くのももちろんHIPHOPだし日常の詩だ。そういうことを考えながら愛を込めて浴室を掃除した。排水口の髪の毛もとった。

 

風呂は一番風呂の長女がバブを投入したので「メロンソーダみたい(長女談)」になっていた。一緒に入っていた次女にそういうと「でもシュワシュワがないやん」と言うので「ねぇねが入ってた時はバブのシュワシュワがあったんじゃない」と言うと、次女はおもむろに見えないバブをお尻の下に設置してそのシュワシュワに耐えている顔、を披露してくれた。その顔がおもしろかったので何度かやってもらった。

あと「お父さんはお母さんとくらべて(私の)あたまを洗うのがながい」と言っていた。そうなのかと思いつつ自分の子どものころを思い出すと、たしかに祖父母と両親、それぞれと入ると洗う順番や洗われ方や体の拭かれ方は、それぞれで違ったよなあと思い出した。それにしても夫婦で共有していない習慣って結構珍しい気がするけど、子どもの洗い方以外に他にもあるんかな。

 

夕飯はハンバーグだった。妻が作ってくれるハンバーグはしっかりとした弾力があるし野菜も入ってるしで、妻が作ってくれないと食べられないハンバーグなのでおいしい。長女がここのところ食事のたびにこぼしたり袖口を汚したりしているのだけれど、今日もGUで買ったばかりのピカチュウのパジャマにソースをつけてしまい脱がされていた。ちなみに次女はポッチャマを着ていた。

普段日曜日はわが家は妻の趣味で鉄腕DASHを見ながら夕飯を食べるのだけれど、今日は行列のできる相談所のスペシャルというハズレ週だったのでバナナマンの日村がおいしいものを食べる番組をつけながら夕飯を食べた。

あとは寝る時間まで、子どもたちはコタツに半身をつっこんでそれぞれでゲームをやったりセーラームーンを読んだりしていた。声をかけて歯を磨いてやり(長女はまだ仕上げ磨きをしてやっている、いつまでやるんだろこれ、と思いつつなくなったら少し寂しいのかもしれない)、今朝干した布団を敷き、フィルターが新しくなった空気清浄機のスイッチを入れて子どもたちを「片づけた」。

 

東京ではtofubeatsのアニバーサリーライブがあったらしく、うらやましい。でもわが家とて特に大げさな出来事があったわけじゃないけれど、なんとなくいい一日だったような気がする。

昨日注文したミュータントタートルズのスウェットも明日届くらしい、さっきメールが来た。

でもたまにゃオフラインで

Twitterの友だちが誘ってくれたので天王寺へ飲みに行った。

 

 Twitterの友だちが、っていうのがすごいよなあ。世間一般的にどのくらいの人が理解を示してくれるんだろう。そもそも熱心にSNSを(特に実生活上の人間関係と離れたSNSを)更新してる人って、世の中で言えば本当に一部の人だと思っているのでわざわざ周囲でそんな話することもないなと思う。

 妻も僕と同じくらいにインターネットは好きだけど基本的にROM(ってもう言わないのかな、read only menberだっけ)の人なので、そういう話をすると「仲良くなるとかあるんや」と半信半疑だった。

 とはいえ、いかにして顔の知らない相手とインターネット上でメッセージのやりとりをし、あまつさえ会って話をしようというところまで交流を深めたのかということについては、僕としても説明のしようがなくまあ運とか縁とかなんかなと思う。そういうことがある。

 なんにせよツイッター上でメッセージのやり取りをしたりクラブとかで顔を合わせたりしていたその友だちが、一度飲んで話をするのをメインで集まりましょうよと誘ってくれたのだった。そうやって誘ってもらえることがうれしいと思ったしありがたいなと思った。誰かからそうやって興味を持ってもらえることは大変にうれしいことだ。

 

 僕を含めて三人、居酒屋らしいものをつまみながら話をしたのは楽しかった。特にその二人はクラブ好きが高じたのか近頃はDJとしてイベントにも出たりして、その話を聞くのは楽しかった。

 このくらいの歳になって何かを上達しようと練習するのはとても偉いし、そういう気持ちになれるのはうらやましいことだと思う。僕なんかは時間が体力がとすぐ言い訳を見つけて逃げてしまうだろう。いい歳した大人たちが集まって部活みたいに何かを練習して上達を目指すのは、そういうものがあるのはとてもうらやましくて、話を聞くだけでこっちまでエンパワメントされる。薄めにしてもらったお湯割りがうまい。

 

 恥ずかしがらずに自分の話ができたのもよかった。もともとプライベートと切り離してつぶやくために作ったアカウントで、これなら気楽に好きなことを言えると思っていた。

 しかし、そういうアカウントでも徐々にインターネット上の人間関係ができてくるし、その人間関係にもぼんやりとした濃淡やグループが生まれる。しかも例えwebのほんの片隅にいようともインターネット上の発言は距離感ゼロでどこまでもフラットにとどいてしまうなと近頃になってつくづく思う、自戒している。

 だから発言はどんどんパブリックな、安全なものを心がけるようになるのだけれど、それはそれで実体としてのプライベートな自分が置いてけぼりになっているような寂しさもあった(ような気がする(気がするだけだけかもしれない))。

 だから実体を伴った声で、オフラインで、プライベートで、プライベートな話ができる安心感というのはとても心地よかった。

 しかも元々インターネットでつながった相手というフワフワした心許ない関係だからこそ、それでも(だからこそ)相手は話を聞いてくれるのだという不思議な信頼感も、照れずに自分語りができた要因かもしれない。

 もちろん、二人がいいやつだということは前提としてです。

 

 楽しかった。また誘ってほしいし今度は誘いたい。カラオケDJ練習会にも遊びに行きたいしプライベートな話ももっと聞きたいしこれからも仲良くしてください。

 この歳になって友だちですって難しいのよほんと。ありがたーい。

 

ドライアイスはいらなかったな。

 昨日、夕食も済ませてお風呂も済ませて子どもたちが寝る前の時間帯。みんながだらだらしている時間帯に妻が「ショートケーキが食べたいなあ」と言い出した。

 僕もふざけて「仕方ない、いまから買ってこよう。コンビニでいい?」と聞くと「桜ノ宮の帝国ホテルのショートケーキがいい。ほんで、買ってきたら窓から投げ捨てて『チョコレートケーキがよかったのに』ってわたしが言うからお父さんは『ごめん、僕はロバのように間抜けだった』って謝って」と、ふたりでふざけていた。

 子どもたちも何のことかわからないけどおもしろがっていた。

 

 そういうことを思い出して帰りに何軒かコンビニを覗いたけれど、ショートケーキは売ってなかった。ショートケーキ売ってなかったよ、と半ばふざけて妻に伝えると、思ったよりも妻はがっかりしていた。「え、なに、本気だったの?いまからでも買ってこようか」と提案すると、ちょっと待ってとスマホで調べだした。本気だったのか。子どもたちも、ほんと?ケーキ?と期待している。

 あそこは閉まってるか…シャトレーゼでもいいんだけどせっかくだし…と結局家から自転車ですぐのところのケーキ屋がまだ開いているようだったので、夕飯の前に僕が買いに行くことになった。

 

 まったくバカバカしい話だと思う。妻の思い付きで(たしかにハロウィンではあるけれど)特に何という意味のない日にわざわざ閉店間際のケーキ屋にショートケーキを買いに行く。バカバカしい話だと思う。でもなんかいいなとも思う。

 ケーキ屋の途中、若い人たちが自分たちに聞こえる声で笑いあっていた。

 妻のショートケーキと長女のチョコレートケーキと僕のマロンクリームケーキと次女の焼き菓子を買った。店はパティシエのおじさんひとりで、ちょっと不慣れそうにお会計をしてくれた。

 

 バカバカしいのになんかいいなと思うのは、たぶん相手からの信頼が感じられるからなんだと思った。

 思い付きでちょっとそこまでケーキを買いに行ってくる程度のわがままを叶える程度の信頼。またバカなこと言って、と却下されないだろうと思ってもらえるくらいの信頼。家族の、夫婦の温度感としてなかなか丁度いい気がするなと思った。帰り道でもまだ若い人たちは同じ信号の前でくすくすと笑いあっていた。

 

 特に意味のない日だったけどケーキはなかなかおいしかった。みんなもそれなりに喜んでいた。来年のハロウィンに誰か思い出せるといい。