凡庸

週一くらいが目標です。

我が家の七日間戦争。

 娘が気管支炎で月曜日から金曜日まで入院していた。その顛末をtweetで振り返ってみた。誤字脱字は原文ママ

 

 しばらく前から咳をしていた。でも熱は出ないし元気だし…と果物など栄養のあるものを食べさせたり電動鼻水吸い機を使ったりして様子を見ていた。そしたら…

 

 というわけで月曜に一日休みを取って、朝から近所の小児科へ行った。そこの血液検査の結果総合病院で再検診ということになる。

 診察が終わるとそのまま娘は看護師さんに連れ去られ、その間に僕は簡単なお昼ご飯を調達してきた。戻ってくると娘は看護師さんに抱きかかえられたまま、腕には点滴がつながれていた。

 

 家内に連絡をすると、なんとかお昼で切り上げて病院へ来てくれた。二人で入院付き添いの予定を決め、どちらがどう休みを取れそうか相談した。最初の晩と翌日まる一日は家内が付き添うことにしてとりあえず家内には帰ってもらい、僕はその夜までの時間を引き受けることになった。

 病室は大部屋でちょっと心配だったけど、個室なら一泊6,000円と言われ、じゃあとりあえず大部屋に入りダメそうなら個室に移らせてもらうことにした。小児病棟だったので周りはみんな子どもたち。病室の外のフロアの一角が共有のプレイルームになっていて、少し壊れているものもあるけど色んなおもちゃがあった。ここには入院の間中お世話になっていた。初日は小学校高学年(僕が本人に話しかけて聞いた)のお姉ちゃんが子ども向けのおもちゃで退屈そうに遊んでいた。

 この日帰りにデニーズに寄って、夜中にステーキ定食を食べた。なんだか気合を入れなくてはいけない気がしたのだ。家に帰って洗い物などをして、寝た。

 

 翌日は職場で事情を話して一週間の中で半日出勤や欠勤の日をつくってもらった。みんなに心配してもらい、本当に職場には助けてもらった。休めそうだという話を家内にして、二日連続で僕が夜の付き添いをすることになった。一度帰らせてもらい、仮眠をとったりお風呂に入ったりご飯を食べたりした。

 あまり寝かしつけの成績はよくない。ましてや家ではなく病院である。そうとう覚悟と気合が必要だ。

 母を求めて「かーちゃ!かーちゃ!」を連呼して泣く娘の背中を同じリズムでトントンしながら、「とーちゃ!とーちゃ!」コールで上書きしながら、他の子を起こすといけないので病室には入れないまま茶話室のあたりをうろうろしながら娘が力尽きるのを待つ、という強引な寝かしつけ。ついに23時過ぎ、決着がついた。翌日も朝から昼過ぎまで仕事なので僕も速やかに寝ておくことにした。

 家にいるときは起こさないように気を使ったものだが、同室の子どもたちが夜な夜な大きな咳を何度もしたり、起きてしまって泣いたりして、うちの娘も起きてしまわないかとヒヤッとして僕も目を覚ましたものだけれど、わが子は一切、頑として眠り続けた。明け方、何にも関係ないタイミングで起きて、寝ぼけて小さな声で「かーちゃ…」と呼ぶ声に僕は目を覚まし、すかさず娘のベッドに寄り添いトントンをして再寝かしつけに成功した(家ではよく失敗して家内を起こす羽目になる)。

 そして病院から直接職場に向かう。相変わらずみんな心配してくれている、それも娘のみならず僕のことまで。

 

 半日で退勤させてもらい、もう一度病院へ。この日は午前中お義父さんにお願いしていた。ちょうど看護学生さんが実習に来ていて、ご飯を食べさせてもらったり遊んでもらったり、いろいろお世話をしてもらっていたそうだ。ちなみに看護学生さんと言っても社会人学生の人たちばかりで、僕と同じくらいか「うちの子のときは~」と頼もしいことをおっしゃるくらいの歳の人たちでした。

 

 

 変な時間に寝てしまったせいで、この日も寝かしつけは23時までもつれ込む泥仕合に。でもこちらの腹さえ据わっていれば、子どもは、いつか寝る。

 そして翌日は丸一日付き添いの予定。

 

 午前中、お義父さんが様子を見に来てくださった隙に一息つかせてもらった。その時に夢の話を思い出している。僕は夢の中で「全部楽しい」って言ってた。娘や家内の姿にがんばろうと思ったことは何度もあったけど、この夢はなんだか自分に背中を押される思いだ。

 

 そして昼過ぎから僕の体調が急変する。

 「ブログに書こう」とか言っているのでこのあとのことを一気に書いておこう。

 このあと、いまいる病院の救急外来に行って、問診とお腹を少し触られただけで4,500円取られて(ちなみに娘の入院費用は一週間分で1,200円を切っていた!すごい!地方自治体様様です)、お金を払ったあと息も絶え絶えのまま総合受付のベンチで横になったまま家内の到着を待ち(お義父さんとお義母さんは娘を見てくれている。あと文句言うつもりはないけれど、ベンチで倒れている間誰一人声を掛けられなかった、医療関係者大勢通り過ぎて行ったけど)、家内が着いたころには待合のベンチで体は冷え切っていたうえに下痢と嘔吐の脱水症状で手足の指先が痺れていて、買ってもらったポカリを一気に2本飲み干し、また下し、車に乗せてもらって家でまた下し、枕もとにポカリや水をありったけおいてもらい、厚着して布団をかぶって眠れるだけ眠った。お義父さんと家内は娘を見に戻らねばならず、僕はまあ寝たら大丈夫だとは思いつつ、そう言いつつ、さすがに心許なく、家内たちが去ったあと実家の母にLINEをし(母は「娘の」お見舞いのために休みをとれるようにしていてくれているはずだった)出来たら僕の様子を見に来てほしいと連絡をして、寝た。寝たらだいぶ元気になった。

 

 僕が家で寝倒している間、個室に移った家内も僕と同じように吐いたり下したりしながら、それでいて一晩娘に付き添っていた。ありがとう、ご苦労様でした。

 翌朝実家の母が到着し、しばらくしてから退院できた娘と、ボロボロになった家内と、家内の両親がやってきた。家内は帰るなりポカリをグビグビと飲んで布団に倒れこんだ。僕も娘をじじばばにお願いし、もう一度寝させてもらうことにした。

 僕と家内二人だけだと、どちらかが娘を見なくてはいけない。ので、両方共倒れになるとどちらかがゾンビのような状態で面倒を見ることになる、死ぬ。つくづく実家の親の存在がありがたかった。日帰りの予定だった僕の母にひと晩泊まってもらって、なんとか最後の窮地を切り抜けた。

 

 実は入院の間中、基本的に娘はずーっと元気だった、機嫌もよかった。プレイルームに行けば家では見たこともないようなおもちゃにあふれ、看護実習生のお姉さんたちがいつまでもいつまでもチヤホヤと遊んでくれる入院生活を彼女なりにエンジョイしていたようだ。

 とはいえ、四六時中管につながれて自由に走り回ることもできない、外へも行けない。普段から走り回ったり、歌ったり、踊ったりするのが好きな娘だ。やっぱり自分の足で好きなだけ走り回っている娘の姿がかわいい。あんなに続いていた咳もすっかり治まった。娘は本当によくがんばった。家内も僕もがんばったけど、やっぱりお利口さんに入院生活を過ごしてくれた娘が一番頑張った。

 

 そして我が家にはいい季節がやってきた。家族3人で一部屋に寝られる。布団の周りが柵だったり、布団がベンチみたいだったり、寒かったり暑かったりせず、周りから泣き声や大きな咳も聞こえない。点滴の管もないから、娘は好きなだけ変な寝相で、お義父さんを布団から追い出したり、お母さんを壁際まで追い詰めたりできる。家族3人で好きなだけ眠れる幸せが、帰ってきた。

 

 退院したその日はとりあえず様子を見て、翌日、久しぶりにお風呂に入れた。そうそうこれこれと思って僕は娘に、お風呂に入りながら、お帰りなさい、と言った。