凡庸

週一くらいが目標です。

いつしかきみは向こうの向こう。

 娘の保育園が始まって、もう2週間が過ぎた。初めの何日かは慣らし保育ということで8:30に預けて11:00に迎えに行くというのだったのが徐々に延びて、お昼ご飯を食べてから迎えに来てもらう、お昼寝が済んだら迎えに来てもらう、そしてとうとう夕方になったら迎えに来てもらうという段階まできた。

 産まれてこのかたほとんどお母さんと離れずに生活してきた娘である。初日こそこれからの自分の置かれる状況がわからないまま保育園の先生に引き渡され、よくわからないながらも何やら遊んでくれそうな大人に付いて行くうちにお母さんは去り、(物陰から様子を覗いた家内によると)ふと大きな窓に張り付いてその向こうにお母さんの姿を探すような表情をしていたそうな。この話を聞いたとき、僕は想像するだけで胸が締め付けられるような気がした。

 案の定、初日は(とはいえ数時間だけれども)娘はほとんど泣いて暮らし、お母さんが迎えに来てくれた時には一応泣き止んではいたものの、顔は真っ赤に上気していたという。翌日は保育園の先生に引き渡される瞬間に、今度はものがわかったのか、娘が大泣きするものだから家内は後ろ髪引かれる思いで離れがたくしていると、先生に「早く!行ってください!」と追い払われおろおろと保育園をあとにした。

 

 そんな風に日を重ねながら、娘は少しずつ保育園の生活に慣れていったらしい。園と家庭の連絡ノートに先生のコメントがなく、忙しいことは重々承知しているつもりながらもなんと素っ気ないことかと思っていたら、お昼寝が始まったらいろいろ書いてくださるようになった。そりゃそうだ、子どもたちにまとわりつかれながら、そう何人もの連絡帳に記入できるはずがない、僕が浅はかだった。連絡帳には毎日「ご飯をよく食べ、機嫌よく歌ったり踊ったり、黙々と絵を描いたり砂を掘ったりしている」というようなことが書かれ、すっかり娘は保育園ライフになじみつつある。

 僕としては娘が新しい環境で日々いろんなことに触れているというのは大変に喜ばしいつもりだ。でも、今までは家内から日々の様子を聞いていたのが、保育園の連絡帳越しに娘の一日を知ることになり、なんとなく娘との距離が広がってしまったような気がして少し寂しい。楽しく保育園を満喫しながらもやはりお母さんと一日中離れているのがさみしかったのか、僕が家に帰ると娘は大体夕飯の支度をしている家内の足にしがみついて不機嫌そうにしている。僕が引きはがしてかまおうとしてもダメだ、ものすごく怒る。仕方ないので焼き海苔を与えて気を紛らわしながら、家内に夕食の支度をしてもらう。もう少しお父さんを恋しがってくれてもいいのにとも思う、仕方ないけど。

 

 平日に僕が娘と一緒にいる時間は、一緒にお風呂に入って、そのあと家内がお風呂に入っている間に一緒にイチゴを食べたり(娘がイチゴを食べた後にふーっとしてもらうと甘酸っぱいなんともいい匂いがする)牛乳を飲んだり、クレヨンで絵を描いたり、布団の上でゴロゴロと遊んだりする時間だ。早く娘がいろいろ話ができるようになってお風呂で今日の出来事を直接教えてくれるようになればいいと思う。