凡庸

週一くらいが目標です。

聞き分けのよい幕開けを先駆けてゆくだけ

 二人目が産まれて二児の父になった。自分が女姉妹の父親になるなんて想像していなかった。漠然と男の子と一緒にいるような気がしていた。たぶん男兄弟に育ったせいだと思う。

 思えば長女が産まれたときは、その子と少し自分たちのことを考えていればいいので楽だったかもしれない。二人目は産まれたばかりの赤ちゃんはもちろん、現在進行形で育っている長女のことも気にしてやらなくてはいけない。結果、家内は赤ちゃんを連れて実家へ、僕は長女と一緒に二人暮らしだ。手分けして各個撃破する作戦である。

 初めの一週間は僕の実家から母親が、僕と長女の世話をしに来てくれていた。その間に、しばらくの間僕が長女の送迎のために仕事を早く上がれるよう、根回しと身辺整理を行った。半面、これは僕の母親に対する親孝行の気持ちもあった。長女がもっと小さいころから、こっちへ来たり僕らが実家へ行ったりするたびの溺愛ぶりを見るにつけて、近くに住んでいろんな成長の場面を見せてやれないのは少し悪い気もしていた。だからこういう事態でこちらからお願いすれば、少しの間大手を振って孫と一緒に暮らせるだろうという思惑もあった。嫁も実家にいるので気兼ねもないだろうし。

 そうは言っても大いに助かった。僕としても、長女の送迎や夕飯の準備はおろか、普段やっている家事だにせず、長女と一緒に世話に甘え、ただただ風呂に入れるのと寝かしつけをするのとだけで生活をさせてもらった。その実母も先日帰ってしまった。

 

 長女と二人暮らしである。ずいぶん聞き分けのいい子とはいえ、3歳児。こちらにも家庭以外に仕事もあり、というかそもそも家事(とくに料理は家内任せにしていた)がそれほど得意でもなく、どうなることやらと思っている。なにしろ今までよりも早起きしなくてはいけない、まいった。

 多少緊張感もあるのか、長女の寝かしつけをしてそのまま一緒に寝てしまわないようになった。一緒に寝てしまったら家のことが回らなくなってしまう。

 それでもやはりお利口な子で、ご飯もよく食べてくれるし、こちらの言うこともよくわかって聞いてくれる。別に僕らが上手にしつけた覚えもないのにこうしてお利口にしてくれる様子を見ると、親が多少教育したところで本人の性格をどうこうしようもないよな、とも思う。その人はその人として大きくなっていくのかもしれない。

 今日うれしかったのは僕が作ったカレーライスを「ちょっとからいのがいいよね」とかなんとかませたことを言ってぺろりと平らげてくれたのと、洗濯をしている途中で僕がハンガーをぶちまけてしまったときに、こちらから頼まぬうちに音を聞きつけてやってきて何も言わず当然のように一緒にハンガーを拾い集めてくれたことだ。優しいいい子になってくれるといいなあ。(でも、優しいいい子だとほめすぎてもかわいそうなので、時々「お母さんには内緒だよ」とかなんとか言って、こっそりアイスクリームを食べたりしよう。)

 もうすぐ誕生日なので、またアンパンマンミュージアムに行こうと約束している。それからイケアのおままごとキッチンセットを買ってあげようとおもう。いい子にしてくれるからこちらも気兼ねなく色んなことをしてあげたり、与えてあげられる。嬉しいことだと思う。

 

 家内と次女のチームのほうもおおむね順調のようだ。二人目ということもあり、精神的な余裕があるのと、潤沢に母乳が出るのとで、赤ちゃんはおなかが減ったら泣き、すぐに乳をもらえ、そして満足したらぐっすり眠る、という安定したサイクルで生活しているそうだ。確かに2時間おきに授乳するのは大変だけれど、リズムがちゃんとしているので助かる、と言っていた。

 何度か会いに行って、次女を抱っこするとそのあまりの軽ろきにうれしくなって部屋をぐるぐると歩き回ってしまう。どんなに抱っこしていても疲れない(ただし異様に体が熱い)。軽くて小さいのがかわいい。この手ごたえは今しかないのを知っているので、しっかりと体で覚えておきたいと思う。忘れちゃうんだろうけど。

 次女の顔は長女に似ている。3Dエコーのころからすでに似ていて、家内より一足先に顔が見えた瞬間にもよく似ていると思った。長女本人はどう思っているかは知らないけれど、お姉ちゃんとして鼻息荒くしているのは確かだ。そもそも産まれる前から各種おもちゃでイメトレに余念がなく、産まれてからも果敢に抱っこに挑戦し、お母さんの補助のもと抱っこして「おねえちゃんだよ」と声かかけをしている。頼もしい限りだ、仲のいい姉妹になっておくれ。

 

 家内と次女が退院してから初めて長女と一緒に会いに行った日の帰り、車の中で「おかあちゃんがいい、おかあちゃんがいい、おろして、おろして」と泣き喚いて大変だった。家内が入院している間はそんなことはなかったので、たぶん、退院して実家に帰ってきたのでまた一緒に生活できるのだと思ったのかもしれない。お利口に我慢していたのだと思うと不憫にも思うし、いまもそんな様子は見せないけれどお母ちゃんのいないさみしさを我慢しているのかもしれない(し別にそうでもないかもしれない。テレビ電話とかも割とそっけないし)。なるべく楽しい二人暮らしになるといい、僕のいい思い出にもなるといい。

ピースぎゅぎゅう詰め。

 一週間に一回くらい、と思っていたブログが気付くとひと月ほったらかしになっている。かといってそう書くほどのこともないけれど、こういうのは習慣だからほったらかしにすればするほど遠のく。まあ遠のいたところで、という話でもあるけれど何となくそれは嫌なので何か書いてみようと思う。

 あれがあった、これがあった、というのもいまいち思い出せないので、なんとなく思いついたことを書く。

 

 年度をまたいで転退出があった。5年ほど一緒に働いていた同僚にも異動が出て、先月末で転勤していった。長いこと一緒に働いていた人だったのでさみしい。まさに「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」と言った感じだ。こうやって色んな人とすれ違いながらキャリアと人生を重ねていくのだ。

 

 近頃の文化的な生活としては2点。ひとつは味園ユニバースのイベントに行った。お目当てはtofubeatscero、あとEGO-WRAPPINが何か知ってる曲をやってくれるかな、という感じ。行ってみると、おいおい人入れすぎじゃねーのか、というほどのギュウギュウ詰めでちょっと閉口した。そりゃチケット売れるだけ売ったほうが実入りはいいんだろうけど、隅から隅まであんな大勢をパンパンに入れて大丈夫なのか。目の前で音楽が鳴り響いて、バーカンではもちろんアルコールもあって、ここはオーサカミナミで、人がギュウギュウでよくもまあ喧嘩とか起こらなかったなと思う。でもそこはまあceroとか聞きにくる人たちだし、多分あまりみんな喧嘩とか強くないんだと思う、ピース。

 ライブは楽しかった(ギュウギュウじゃなかったらもっと楽しかったと思う)。内気な僕も手を上げてイエーとか言っちゃったし。ceroは「Obscure Ride」の曲が多かったので、僕の知ってる曲が多かった(だったら「orphans」もやってほしかったけど)。tofubeatsはこないだクラブのイベントに行ったときはDJセットだったけど、今回はライブセットで「水星」も「NO.1」も聞けて満足(だったら「衣替え」も聞きたかったけど)。それにしてもつくづく思うのは、ceroはサポート込みであんな大所帯でそれぞれの楽器やったりして大変に忙しそうなのに、tofubeatsときたらパソコン一台持ち込んでカチャカチャやりながら歌うだけでフロア大盛り上がりだったのでコスパ高いよなってこと。また聞きたいな、tofubeats、5月にアルバム出るらしいから買おう。今度京都メトロ来るらしいので行くか悩んでいる。

 

 文化的生活2点目は「LA・LA・LAND」を観た。そりゃ話の筋にああだこうだ言い出したらキリがない気がするし、ジャズがどうのこうのとかわかんないけど、そこはいきなり歌いだして踊りだしてあまつさえ空も飛んじゃう映画なわけだからゴチャゴチャ言うのは野暮ってもの。今に見てろ、おしゃれなダイニングカフェはこぞってこの映画をBGM代わりに流しっぱなしにするだろう。っていういい方は悪いけれど、そのくらい新しいクラシックになりうる映画なんじゃないかなと思う。こういう感じがやりたいんやーっていう作品へのこだわりを強く感じる映画だったので、そのへんのブレなさっていうか強度があとあとになっても古臭くさせないに違いない。個人的な見どころとしては①とにかくエマ・ストーンのドレスがおしゃれ、②ピアニストになんでそんなに筋肉がいるんだよっていうくらいシャツの上からでもライアン・ゴズリングのムキムキさが伝わる、③Twitterで誰か言ってたけどGTA5で散々撃ち合いをしまくったあの天文台マジであるんだ!という感動(そのせいであの辺のロマンチックなシーンが頭に入ってこなかった)、④ラストの畳みかけるようなシーンは僕としては大好き、の4つ。もう一回映画館に行って観たいけど、どうせ行くなら「夜は短し歩けよ乙女」か「キングコング」が見たい(だってサブタイトル「髑髏島の巨神」だよ!?)

 

 いまフレンズの新譜「ベビー誕生!」とJABBA DA HUT FOOTBALL CLUB「OFF THE WALL」をシャッフル再生しながらこれを書いているけどどっちもいいです。大したこと言えないけど、どっちも僕の青春時代だった2000年前後の感じがする。とくにジャバのほうは言っちゃ悪いけどRIP SLYMEっぽい。あとこのアルバムには入ってないけど「Revenge For Summer Part.2」が好き。曲の中でも触れられてるけどこれ「サマージャム'95」だ。フレンズはひたすら幸せそうでいいし、ボーカルのおかもとえみの歌が上手すぎる(でも個人的にはギターの三浦太郎にもっと歌ってほしい)。にしても「フレンズ」というバンド名はインターネット全盛のこのご時世で検索しづらいよね。どっちもYouTubeでたどり着いた。YouTubeはえらい、YouTubeは偉大だ。

 

 家族のことも書いておこう。家内のおなかはずいぶんと大きくなった。まだこれからさらに大きくなると思うと、ただただ「よろしくお願いいたします」としか言えない。かがんだり娘を抱きかかえたりするのが大変だそうなので、その辺は大いに僕が代わります。

 娘はオムツからおパンツへの移行がすこぶる順調で、いまではすっかり日中はほぼおパンツで過ごし、尿意を感じたらきちんとトイレに行きたい旨を教えてくれる(それが食事中だろうと何だろうと)。あとは寝るときのオムツだけれど、これはしばらく難しそうだ。食欲はモリモリ、おしゃべりも上手、簡単な絵本ならお父さんに読んでくれる、運動神経はちょっとビビり気味、とすこぶる元気いっぱいな日々を過ごしている。

 そうそう、こないだ子ども用屋内施設で二人で遊んだ。アスレチックやボールプール、トランポリンと余すところなく楽しんだけれど、娘が一番気に入っていたのはおもちゃゾーンにあった赤ちゃんの人形と小さなベビーカーだった。赤ちゃんの人形をベビーカーに乗せ、哺乳瓶のぬいぐるみも乗せ、ベビーカーを押してあちこち歩き回っていた。ときどき人形の口元に哺乳瓶を近づけ、「ちゃんと飲むんだよ」と飲ませていた。動物のフィギュアが並んでいるところに連れて行ったり、一緒にミニカーを身に行ったりとお散歩に大忙しだった。小さいなりにお姉ちゃんになることを楽しみにしているようで、お父さんは頼もしいよ。でも帰るときにどうやって人形から引きはがしたものかと悩んだけれど、そこは「赤ちゃんねんねするからおうちに返してあげてね」でイケた。お父さん力も着実に向上している。生き物として大きくするという意味では僕は娘を育てているが、「お父さん」としては、というか「人間」として娘に大きく育てててもらっているとつくづく思う、日々思っている。あ、もちろん家内にも「人間」として成長させていただいております。

 家族がいると家に帰ってからもしなくちゃいけないことが多い。一人で暮らしていたらまあいいかで適当にしていたり誰も気にしないようなことまで、いろいろやらなくちゃいけないことが多い。それは確かに不自由だしめんどくさいことも多いけど、そういう日々の積み重ねを「誰かのため」だと思ってやっていくことは、なんかこう地に足のついた充実感がある。そうやって重ねていく歳は悪くないな。またそのうちに紹介したいけどZORNというラッパーの「My life」という曲に「洗濯物干すのもHIP-HOP」というパンチラインがある。これが本当に好きだ。めちゃくちゃ好きでTwitterのBioにも書いている。そうだよな、HIP-HOPってスタイルウォーズだから、家族のために洗濯物干すのだってHIP-HOPに決まってる。俺だってHIP-HOPなんだよ。もちろん家内だって娘だってHIP-HOPだ。

 

 ああだこうだ音楽のことも書いたけどYouTubeの貼り方よくわかんないしもし興味があったら検索してみてください。

 ほら、やっぱりブログって書いてみればなんぼでも書ける(とは限らないけどそういうことで)。また思いついたときに書こうっと。

 大阪の桜はそろそろ満開かな、という感じ。3月の終わりごろの話だけれど、保育園のお迎えの帰り、ふと目の前に大きな梅?の木にたくさん花が咲いていた。ほお、と思っているとそれを見た娘が「はるだねぇ」と言った。そのストレートさと言い方がおかしくて僕も「はるだねぇ」と真似した。「花も咲くねえ」と言うと、娘も「たんぽぽもさくねぇ」と言った。これ一生忘れたくないなあ。最高だよ、ピース。

タージマハルに沈む夕日は怒りと矜持で真っ赤に燃えていた。

 インド料理屋のライスがよく炊けていた、という話。

 

 職場の近所に新しくインド料理屋ができた。僕はカレーが好きで、それも大好物だなんだと大騒ぎするつもりもなくただ心穏やかに精神的に寄り添うような思いでカレーが好きで、しかもナンとカレーのセットがランチルーティンに組み込まれると思うと、これからの日々の充実を期待してしまう。カレーに、ナンに、そしてラッシーだ。

 職場の同僚と行った。外国人の店員(おそらくこういうインド料理屋で働いている外国人店員の85%はネパール人だと思っている。店のポスターにもインドビールのとネパールビールのとがあった)に促され、とりあえずサラダとナンだけがついた日替わりカレーセットを頼む。様子見で辛さは「ふつう」だ。

 出てきたナンの大きさに胸が躍る。そうそうこれこれ、とちぎってみると思ったよりふかふかのもっちりだった。ナンにカレーをディップして食べてみる。おいしい。

 「おいしい」と言っても、田舎育ちで舌がバカなのでたいていの料理が「おいしい」からスタートするうえに、カレーは間違いなく「おいしい」以上のものだと思っている。だから今回の「おいしい」はもちろんポジティブな感想には違いないのだけれど、とりたててどうのこうの言うわけではなくただ「おいしい」という感じだった。辛さもメニューにある通り「ふつう」だった。むしろナンが甘く、おまけに「『ふつう』といいつつ辛かったらどうしよう」と頼んだラッシーも相当に甘かったので、辛さは感じなかったといってもよかった。それでもやはり職場から徒歩で行ける範囲にインド料理屋があるのに心躍るのは変わらなかった。

 

 それほど日をおかずしてもう一度行ってみた。田舎者なので「おれの職場の近くにはインド料理屋があるんだぜ」と思うと行かずにはおれなかった。今度は一人で行った。初めて行った時には同僚と一緒だったのでイキってると思われたくなくて一番安い日替わり定食を頼んだけれど、今日はBセット、日替わりカレー、ナン、サラダ、ドリンクに加え、チキンカレー(つまりカレーは2種類も楽しめる、2種類も!)とライスとタンドリー手羽元もついてくるイキったセットを注文した。前回の辛さを「ふつう」にしたところ「ふつう」だったので、今回は「辛口」を選んだ。辛かったらどうしようと思っていた。

 期待した2種類のカレーはどっちがどっちだかよくわからなかった。というかそもそも「日替わりカレー」についてなんのインフォメーションももたらされず、バカ舌の僕には先日訪れた時とどう日替わっているのかすらわからなかった。イキって「辛口」にしたものの、やはりナンのしっとりとした甘みとともに口に入れてもそう辛さを感じず、むしろココイチの1辛のほうがなんぼか辛い。

 

 決定的だったのはライスだった。インド料理屋なのではじめはサフランライスというか、あのターメリックで黄色くなった、パラパラのライスを期待していた。出てきたの小さく盛られた白米。見当が外れたが、ナンばかりも何なのでライスを口にした。

 

 めちゃくちゃよく炊けているのである。

 どんな炊飯器を使っているのかしらないが、米は一粒一粒がしっとりとつややかで、ほどよい粘り気と噛めば噛むほど甘みが増すかのように感じられる。外で飯を食ってこれほどよく炊けた白飯に出会えることは少ないのではないか。

 しかしここはインド料理屋だ。言わせてもらえば、何お前うまく飯炊いたぁるねんコラ、である。そうじゃないだろう、そこはがんばるところじゃないだろう。なにを日本人の味覚に迎合するか。

 

 とここまで感じてはたと気づいた。僕がこの店に感じていた違和感の正体がはっきりしたのだ。

 つまり、このインド料理屋は日本人の味覚に媚びきっているのである。

 インド料理屋に入るのはどこかジェットコースターに似ている、と言ってしまうのは大げさか。しかし大なり小なり人はスリルや非日常を求めてインド料理屋に入る。味がわからないくらいの辛さだろうとスパイスの香りが強すぎようといくらか舌に合わなかろうと「さすが本場は一味ちがうな」とそれはそれでうれしいのだ。

 ところがこの店ときたらそんな我々の期待を裏切るかのように、こちらの味覚にがっつり合わせにきている。。

 確かに、もっちりと甘いナン、辛すぎないカレー、よく炊けた白米は美味いし食べやすい。だけれどそんな料理が食べたいのならそもそもインド料理屋には来ない。もっと無難に身の丈に合った料理を食わせる店はいくらでもある。そうじゃないんだ僕らが求めているのは。インド料理はスリルなんだ、非日常なんだ、アミューズメントなんだ。

 

 そういう疑いの目でみるとメニューにわざわざ書いてる「薬膳カレー」も胡散臭い。タンドリー手羽元、というネーミングセンスにも頷ける。

 しかし店員さん(おそらくネパール人)に罪はないと僕は思っている。彼らにここまで細かく日本人向けの痒い所までに手が届いた料理を提供できるとは思えない。僕はここに日本人オーナーの影を感じた。おそらくはこのオーナーが命じて、ネパール人店員に日本人向けインド料理を作らせているのだ。ただでさえ、ネパール人でありながらもインド料理屋の看板で店をやらされている彼らのプライドをさらにその上に踏みにじるような所業である。

 僕は彼らネパール人店員たちに、もっと怒りを感じてほしいと思う。なぜ遠い異国の地まではるばるとやってきて、かくまでに祖国への尊厳を侵されねばならないのか。もっと怒れネパール人、怒ってその怒りを料理にぶつけるんだ。

 そのとき初めて僕らはスリルに出会えるだろう。インド料理屋にもっちりとよく炊けた白米はいらない。欲しいのは舌も身も焦がすようなスリルだ。