凡庸

週一くらいが目標です。

重なった時のうねりも写ルンです。

 子どもを二人抱える身分になってしばらく経った。二人目ともなると家内の育児も堂に入ったもので、上の子のときに比べたらかなり精神的に安定している。母乳が潤沢に出て、かつ相当に栄養価が高いようで、一日に何度も授乳せずとも赤ん坊はすやすやと眠ってまるまると太っていく。頼もしい限りだ。

 お姉ちゃんになった上の子はというと赤ん坊が泣いていると釣られてしまうのか、一緒になって機嫌が悪くなってゴネたりすることが多くなった。でもそりゃそうだよね、お母さんとお父さんも初めての赤ちゃん(君のことね)が泣いてたらずいぶんと不安にさせられたものだよ。そりゃ君だって初めて赤ちゃんと暮らすんだから色々大変だよね、と思う。

 とはいえ上の子もグングンとお姉ちゃんになっていき、話すことの理路も整然としつつあるし、夜のオムツもとれた。親は何にもしていないのに少しずつ世の人と同じようなことができるようになっていく。

 

 上の子の最近のお気に入りはトトロで、僕がメイちゃんの物まねを要求すると「わたしはメイ、あなたは?……と~と~ろぉ~~……トトロ?あなたトトロっていうのね?」という一連の流れをひとり二役でやってくれる。そんなに似ているわけではないけれど「あなたトトロっていうのね?」の部分が幼児らしいイントネーションで非常にリアルでおもしろくって、何度もリクエストしてしまう。リクエストを繰り返すうちに、最近はなんだか恥ずかしがってしまって、ちゃんとやってくれない。今度きちんとやってくれるときには必ずムービーに残したいと思う。

 こないだ100ピースくらいのトトロのパズルを買った。一緒に作ったり壊したりを何度もやるうちに上手に作れるようになってきた。えらいぞ。

 

 読みたい読みたいと思いつつも手が出なかった、ガルシアマルケスの『百年の孤独』をようやく読んだ。大変面白くて心のベストテン第何位だかには入ると思う。

 これはある一族の始祖になる男女が元の村から出て、新たな土地に村を開き、そしてその(一癖も二癖もある)子孫たちの繁栄と村の滅亡を書いた小説だ。とくにきちんとした起承転結があるわけではなく、さまざまな挿話が重なって大きな時のうねりを作り出している。その挿話や登場人物のいじらしさと、大きな時のうねりが魅力だ。まともな起承転結がないので、普通の小説のようにストーリーのその先に待つ何者かへの期待をモチベーションに読み進める読み方は難しい。しかしそれにも関わらずグイグイと読んでいってしまう不思議な小説だった。

 この物語には同じような名前を持つ男の子孫たちが繰り返し登場する。彼らは同じ名を持つ子孫であって同一人物ではない。しかし同じ名を持つ男たちは、どこか同じような気質を持ち、同じような失敗を繰り返し、同じように破滅したりする。

 僕は自分自身は自分自身でしかあり得ず、他の何物でもないと思い込んでいる。先日、面白がって子どもたちを写ルンですで撮ったのを現像に出してみた。写ルンですで撮るとなんだか昔の写真のような独特の質感が出て面白い。その写真をパラパラと見ながらふと不思議な感覚があった。

 そこに写された我が家の長女が、なんだか僕の祖母の幼いころのように見えたのだ。以前からこの子は僕の祖母によく似ていると思っていたし、家族にもそう言っていた。でもその時にはとてもすんなりというか、直感的にというか、写ルンですの古い質感も相まって娘と祖母がほとんど重なって見えた。娘からしたら曾祖母だ、まだ元気な祖母には縁起でもない言い方になるかもしれないけれど、ひ孫からしたら半分先祖みたいなものだ。

 で、何が言いたいかというと『百年の孤独』で何度も登場する「アウレリャーノ」たちのように、あるいは4世代くらいの間隔が空いてもなお顔の似ている娘と祖母のように、この僕にだって、何世代か前には似たような顔で似たような気質の人間がいたのかもしれない。

 最近、本当に最近、ふと「死んだら自分はどうなるのか」と考えてしまい猛烈に怖くなって冷や汗をかき胸がドキドキすることが何度かあるのだけど、とりあえず「僕が死んでも、何世代かあとに似たようなやつが現れるかもしれない」ということにしてドキドキを抑えている。とはいえ僕自身が消えてなくなってしまうことが怖いのには変わりないけど。

 なんか変な話になってしまった。

 

 赤ん坊がいるので上の娘を特にこれといってどこへも連れて行ってやれなかったけれど、まあのんびりと楽しく過ごした夏でした。

聞き分けのよい幕開けを先駆けてゆくだけ

 二人目が産まれて二児の父になった。自分が女姉妹の父親になるなんて想像していなかった。漠然と男の子と一緒にいるような気がしていた。たぶん男兄弟に育ったせいだと思う。

 思えば長女が産まれたときは、その子と少し自分たちのことを考えていればいいので楽だったかもしれない。二人目は産まれたばかりの赤ちゃんはもちろん、現在進行形で育っている長女のことも気にしてやらなくてはいけない。結果、家内は赤ちゃんを連れて実家へ、僕は長女と一緒に二人暮らしだ。手分けして各個撃破する作戦である。

 初めの一週間は僕の実家から母親が、僕と長女の世話をしに来てくれていた。その間に、しばらくの間僕が長女の送迎のために仕事を早く上がれるよう、根回しと身辺整理を行った。半面、これは僕の母親に対する親孝行の気持ちもあった。長女がもっと小さいころから、こっちへ来たり僕らが実家へ行ったりするたびの溺愛ぶりを見るにつけて、近くに住んでいろんな成長の場面を見せてやれないのは少し悪い気もしていた。だからこういう事態でこちらからお願いすれば、少しの間大手を振って孫と一緒に暮らせるだろうという思惑もあった。嫁も実家にいるので気兼ねもないだろうし。

 そうは言っても大いに助かった。僕としても、長女の送迎や夕飯の準備はおろか、普段やっている家事だにせず、長女と一緒に世話に甘え、ただただ風呂に入れるのと寝かしつけをするのとだけで生活をさせてもらった。その実母も先日帰ってしまった。

 

 長女と二人暮らしである。ずいぶん聞き分けのいい子とはいえ、3歳児。こちらにも家庭以外に仕事もあり、というかそもそも家事(とくに料理は家内任せにしていた)がそれほど得意でもなく、どうなることやらと思っている。なにしろ今までよりも早起きしなくてはいけない、まいった。

 多少緊張感もあるのか、長女の寝かしつけをしてそのまま一緒に寝てしまわないようになった。一緒に寝てしまったら家のことが回らなくなってしまう。

 それでもやはりお利口な子で、ご飯もよく食べてくれるし、こちらの言うこともよくわかって聞いてくれる。別に僕らが上手にしつけた覚えもないのにこうしてお利口にしてくれる様子を見ると、親が多少教育したところで本人の性格をどうこうしようもないよな、とも思う。その人はその人として大きくなっていくのかもしれない。

 今日うれしかったのは僕が作ったカレーライスを「ちょっとからいのがいいよね」とかなんとかませたことを言ってぺろりと平らげてくれたのと、洗濯をしている途中で僕がハンガーをぶちまけてしまったときに、こちらから頼まぬうちに音を聞きつけてやってきて何も言わず当然のように一緒にハンガーを拾い集めてくれたことだ。優しいいい子になってくれるといいなあ。(でも、優しいいい子だとほめすぎてもかわいそうなので、時々「お母さんには内緒だよ」とかなんとか言って、こっそりアイスクリームを食べたりしよう。)

 もうすぐ誕生日なので、またアンパンマンミュージアムに行こうと約束している。それからイケアのおままごとキッチンセットを買ってあげようとおもう。いい子にしてくれるからこちらも気兼ねなく色んなことをしてあげたり、与えてあげられる。嬉しいことだと思う。

 

 家内と次女のチームのほうもおおむね順調のようだ。二人目ということもあり、精神的な余裕があるのと、潤沢に母乳が出るのとで、赤ちゃんはおなかが減ったら泣き、すぐに乳をもらえ、そして満足したらぐっすり眠る、という安定したサイクルで生活しているそうだ。確かに2時間おきに授乳するのは大変だけれど、リズムがちゃんとしているので助かる、と言っていた。

 何度か会いに行って、次女を抱っこするとそのあまりの軽ろきにうれしくなって部屋をぐるぐると歩き回ってしまう。どんなに抱っこしていても疲れない(ただし異様に体が熱い)。軽くて小さいのがかわいい。この手ごたえは今しかないのを知っているので、しっかりと体で覚えておきたいと思う。忘れちゃうんだろうけど。

 次女の顔は長女に似ている。3Dエコーのころからすでに似ていて、家内より一足先に顔が見えた瞬間にもよく似ていると思った。長女本人はどう思っているかは知らないけれど、お姉ちゃんとして鼻息荒くしているのは確かだ。そもそも産まれる前から各種おもちゃでイメトレに余念がなく、産まれてからも果敢に抱っこに挑戦し、お母さんの補助のもと抱っこして「おねえちゃんだよ」と声かかけをしている。頼もしい限りだ、仲のいい姉妹になっておくれ。

 

 家内と次女が退院してから初めて長女と一緒に会いに行った日の帰り、車の中で「おかあちゃんがいい、おかあちゃんがいい、おろして、おろして」と泣き喚いて大変だった。家内が入院している間はそんなことはなかったので、たぶん、退院して実家に帰ってきたのでまた一緒に生活できるのだと思ったのかもしれない。お利口に我慢していたのだと思うと不憫にも思うし、いまもそんな様子は見せないけれどお母ちゃんのいないさみしさを我慢しているのかもしれない(し別にそうでもないかもしれない。テレビ電話とかも割とそっけないし)。なるべく楽しい二人暮らしになるといい、僕のいい思い出にもなるといい。

ピースぎゅぎゅう詰め。

 一週間に一回くらい、と思っていたブログが気付くとひと月ほったらかしになっている。かといってそう書くほどのこともないけれど、こういうのは習慣だからほったらかしにすればするほど遠のく。まあ遠のいたところで、という話でもあるけれど何となくそれは嫌なので何か書いてみようと思う。

 あれがあった、これがあった、というのもいまいち思い出せないので、なんとなく思いついたことを書く。

 

 年度をまたいで転退出があった。5年ほど一緒に働いていた同僚にも異動が出て、先月末で転勤していった。長いこと一緒に働いていた人だったのでさみしい。まさに「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」と言った感じだ。こうやって色んな人とすれ違いながらキャリアと人生を重ねていくのだ。

 

 近頃の文化的な生活としては2点。ひとつは味園ユニバースのイベントに行った。お目当てはtofubeatscero、あとEGO-WRAPPINが何か知ってる曲をやってくれるかな、という感じ。行ってみると、おいおい人入れすぎじゃねーのか、というほどのギュウギュウ詰めでちょっと閉口した。そりゃチケット売れるだけ売ったほうが実入りはいいんだろうけど、隅から隅まであんな大勢をパンパンに入れて大丈夫なのか。目の前で音楽が鳴り響いて、バーカンではもちろんアルコールもあって、ここはオーサカミナミで、人がギュウギュウでよくもまあ喧嘩とか起こらなかったなと思う。でもそこはまあceroとか聞きにくる人たちだし、多分あまりみんな喧嘩とか強くないんだと思う、ピース。

 ライブは楽しかった(ギュウギュウじゃなかったらもっと楽しかったと思う)。内気な僕も手を上げてイエーとか言っちゃったし。ceroは「Obscure Ride」の曲が多かったので、僕の知ってる曲が多かった(だったら「orphans」もやってほしかったけど)。tofubeatsはこないだクラブのイベントに行ったときはDJセットだったけど、今回はライブセットで「水星」も「NO.1」も聞けて満足(だったら「衣替え」も聞きたかったけど)。それにしてもつくづく思うのは、ceroはサポート込みであんな大所帯でそれぞれの楽器やったりして大変に忙しそうなのに、tofubeatsときたらパソコン一台持ち込んでカチャカチャやりながら歌うだけでフロア大盛り上がりだったのでコスパ高いよなってこと。また聞きたいな、tofubeats、5月にアルバム出るらしいから買おう。今度京都メトロ来るらしいので行くか悩んでいる。

 

 文化的生活2点目は「LA・LA・LAND」を観た。そりゃ話の筋にああだこうだ言い出したらキリがない気がするし、ジャズがどうのこうのとかわかんないけど、そこはいきなり歌いだして踊りだしてあまつさえ空も飛んじゃう映画なわけだからゴチャゴチャ言うのは野暮ってもの。今に見てろ、おしゃれなダイニングカフェはこぞってこの映画をBGM代わりに流しっぱなしにするだろう。っていういい方は悪いけれど、そのくらい新しいクラシックになりうる映画なんじゃないかなと思う。こういう感じがやりたいんやーっていう作品へのこだわりを強く感じる映画だったので、そのへんのブレなさっていうか強度があとあとになっても古臭くさせないに違いない。個人的な見どころとしては①とにかくエマ・ストーンのドレスがおしゃれ、②ピアニストになんでそんなに筋肉がいるんだよっていうくらいシャツの上からでもライアン・ゴズリングのムキムキさが伝わる、③Twitterで誰か言ってたけどGTA5で散々撃ち合いをしまくったあの天文台マジであるんだ!という感動(そのせいであの辺のロマンチックなシーンが頭に入ってこなかった)、④ラストの畳みかけるようなシーンは僕としては大好き、の4つ。もう一回映画館に行って観たいけど、どうせ行くなら「夜は短し歩けよ乙女」か「キングコング」が見たい(だってサブタイトル「髑髏島の巨神」だよ!?)

 

 いまフレンズの新譜「ベビー誕生!」とJABBA DA HUT FOOTBALL CLUB「OFF THE WALL」をシャッフル再生しながらこれを書いているけどどっちもいいです。大したこと言えないけど、どっちも僕の青春時代だった2000年前後の感じがする。とくにジャバのほうは言っちゃ悪いけどRIP SLYMEっぽい。あとこのアルバムには入ってないけど「Revenge For Summer Part.2」が好き。曲の中でも触れられてるけどこれ「サマージャム'95」だ。フレンズはひたすら幸せそうでいいし、ボーカルのおかもとえみの歌が上手すぎる(でも個人的にはギターの三浦太郎にもっと歌ってほしい)。にしても「フレンズ」というバンド名はインターネット全盛のこのご時世で検索しづらいよね。どっちもYouTubeでたどり着いた。YouTubeはえらい、YouTubeは偉大だ。

 

 家族のことも書いておこう。家内のおなかはずいぶんと大きくなった。まだこれからさらに大きくなると思うと、ただただ「よろしくお願いいたします」としか言えない。かがんだり娘を抱きかかえたりするのが大変だそうなので、その辺は大いに僕が代わります。

 娘はオムツからおパンツへの移行がすこぶる順調で、いまではすっかり日中はほぼおパンツで過ごし、尿意を感じたらきちんとトイレに行きたい旨を教えてくれる(それが食事中だろうと何だろうと)。あとは寝るときのオムツだけれど、これはしばらく難しそうだ。食欲はモリモリ、おしゃべりも上手、簡単な絵本ならお父さんに読んでくれる、運動神経はちょっとビビり気味、とすこぶる元気いっぱいな日々を過ごしている。

 そうそう、こないだ子ども用屋内施設で二人で遊んだ。アスレチックやボールプール、トランポリンと余すところなく楽しんだけれど、娘が一番気に入っていたのはおもちゃゾーンにあった赤ちゃんの人形と小さなベビーカーだった。赤ちゃんの人形をベビーカーに乗せ、哺乳瓶のぬいぐるみも乗せ、ベビーカーを押してあちこち歩き回っていた。ときどき人形の口元に哺乳瓶を近づけ、「ちゃんと飲むんだよ」と飲ませていた。動物のフィギュアが並んでいるところに連れて行ったり、一緒にミニカーを身に行ったりとお散歩に大忙しだった。小さいなりにお姉ちゃんになることを楽しみにしているようで、お父さんは頼もしいよ。でも帰るときにどうやって人形から引きはがしたものかと悩んだけれど、そこは「赤ちゃんねんねするからおうちに返してあげてね」でイケた。お父さん力も着実に向上している。生き物として大きくするという意味では僕は娘を育てているが、「お父さん」としては、というか「人間」として娘に大きく育てててもらっているとつくづく思う、日々思っている。あ、もちろん家内にも「人間」として成長させていただいております。

 家族がいると家に帰ってからもしなくちゃいけないことが多い。一人で暮らしていたらまあいいかで適当にしていたり誰も気にしないようなことまで、いろいろやらなくちゃいけないことが多い。それは確かに不自由だしめんどくさいことも多いけど、そういう日々の積み重ねを「誰かのため」だと思ってやっていくことは、なんかこう地に足のついた充実感がある。そうやって重ねていく歳は悪くないな。またそのうちに紹介したいけどZORNというラッパーの「My life」という曲に「洗濯物干すのもHIP-HOP」というパンチラインがある。これが本当に好きだ。めちゃくちゃ好きでTwitterのBioにも書いている。そうだよな、HIP-HOPってスタイルウォーズだから、家族のために洗濯物干すのだってHIP-HOPに決まってる。俺だってHIP-HOPなんだよ。もちろん家内だって娘だってHIP-HOPだ。

 

 ああだこうだ音楽のことも書いたけどYouTubeの貼り方よくわかんないしもし興味があったら検索してみてください。

 ほら、やっぱりブログって書いてみればなんぼでも書ける(とは限らないけどそういうことで)。また思いついたときに書こうっと。

 大阪の桜はそろそろ満開かな、という感じ。3月の終わりごろの話だけれど、保育園のお迎えの帰り、ふと目の前に大きな梅?の木にたくさん花が咲いていた。ほお、と思っているとそれを見た娘が「はるだねぇ」と言った。そのストレートさと言い方がおかしくて僕も「はるだねぇ」と真似した。「花も咲くねえ」と言うと、娘も「たんぽぽもさくねぇ」と言った。これ一生忘れたくないなあ。最高だよ、ピース。