凡庸

週一くらいが目標です。

ノスタルジイと意外性

 先日、家族でみさき公園に行ってきた。みさき公園大阪府のほぼ南の端あたりにある遊園地と動物園の複合施設で、昔から南大阪の人たちに親しまれてきた遊戯施設だ。しかし数年来の経営不振で、とうとう経営母体がその経営権を手放すことになってしまい、来春にめどがつかなければ閉園となってしまう。そんな施設だ。

 長女は夏ごろに従姉と一緒に祖母に連れられて行ったのがとても楽しかったらしく、本当はアドベンチャーワールドに行きたかった家内に一歩も退かぬ粘り強い交渉で、我が家のみさき公園行きが決まった。僕と次女は初めてのみさき公園だった。

 

 少し早起きして、家内にはお弁当と作ってもらって、のんびりと車で向かった。駐車場は、さわやかな秋晴れの休日にしては車がまばらだった。まあ鉄道会社が経営する施設だけあって電車での交通の便がいいっていうのもあるんだろうけど。

 似たような小さな子ども連れの家族たちの後ろに続いてゲートをくぐると、二日前に終わったはずのハロウィンの写真スポットがあった。そういう鷹揚さは嫌いじゃないので、子どもたちに立ってもらって写真を撮った。

 

 どこで何を見るべきかもわからないので、家内の子どものころの記憶を頼りにひとまずキリンを見に行った。キリンはずいぶん間近に見れた。あんなにキリンの「顔」をまじまじと見たのは初めてだった。それだけでも価値のある施設のような気がして、さっそくこの園が失われるかもしれないのが惜しい気持ちになった。

 ああだこうだ言いながらキリンをのんびり見物していると、長女がどこからか聞こえてくるプリキュアの音楽を聞きつけた。もしやと思って音のするほうへ向かうと、大きな屋外ステージがあり、そこでショーが行われるらしい。そんなの見たいに決まってる。背中を日光であぶりながら開演を待った。

 ショーが始まりアナウンスのお姉さんが登場すると同時に、音楽が一段大きくなった。うちの姉妹は大きな音が苦手なのでとっさに僕と家内はそれぞれの膝の上に座っている子どもたちの耳を軽く塞いだ。子ども向けのショーなんだからそんな大きな音を出さなくても。

 長女は最後まで楽しんだようだけど、僕は途中で席を立った。悪者が出てきたタイミングで次女が怖がりだしたのだ。ほう、君もそういうのがわかるようになったのか、と感心しながら長女と家内を置いて観覧席を離れた。

 近くに古ぼけたゲームコーナーがあったのでそこで時間を潰した。小さな子たち向けの、お金を入れると前後左右に動くアンパンマンやトーマスの乗り物があったので、他のお客さんがいないのをいいことに、次女に言われるがままあちこちに座らせてやった。自分が子どものころにも見たような、懐かしい乗り物やゲームマシンがたくさんあってノスタルジイを掻き立てられた。

 プリキュアショーにはカメラを構えた大きなお友達や、キュアスターの衣装を身にまとった(おそらく)お兄さんなんかもいたけれど、家族連れたちとお互いを意識し過ぎずにすむようなのんびりとした距離感を持ってショーを鑑賞していた。そういうのどかな開放感があるのはいいと思った。

 

 ショーが終わり、そのままイルカショーの時間が近づいていたのでそのまま向かった。広々とした園内だったけれど、ノリノリの長女はもとより次女もぐずらずに景気よく歩いてくれた。

 イルカショーも正面のいい席はだいたい埋まっていたけれど、直前に到着しても労せずよく見えそうな席が確保できた。そもそもそれほど大きなプールではないので、どの席からもすぐ近くで見える。そしてイルカプールの向こうには空と海が見え、ここでも開放感が気持ちよかった。

 イルカショーは子どもたちとすごいね、すごいねと言いながら楽しんで見た。プールとの距離が近いのでイルカの体の肉のしなりや躍動感がよく見えた。ここでは次女も怖がらずに最後まで楽しめた。

 

 見終わってちょうどいい時間だったので、家内が作ってくれたお弁当をベンチに座ってみんなで食べた。ベンチの上で子どもの世話をしつつ弁当を保持してかつ自分も食事する、というのは結構大変だった。子どもも大人も、おにぎりにしたらいくらでも食べられてしまう。

 腹ごしらえをして、子どもたちの望むままにトランポリンをさせてやったり、ちょっとした乗り物に乗せてやったりした。どうせ数百円のことなので、こういうのはできるだけやらせてやりたいと思う。メリーゴーランドには家族みんなで乗った。

 

 それからまた少し園の中を歩いて動物のふれあいコーナーに行った。小さな動物に餌をやったりモルモットを抱っこさせてもらったりできるということだった。初め長女と家内だけで中に入ったけれど、次女も動物に触りたがったので結局みんなで中に入った。

 意外だったのは次女が物怖じせず、餌を乗せたスプーンを動物たちに突き出して突撃していくことだった。長女は、今の次女よりもう少し大きくなった頃に別のふれあい動物園に行った時にもずいぶん怖がったものだったので、てっきり子どもとはそんなものかと思っていた。

 しかし次女は果敢にウサギやヤギに餌をやり、かごに入れられたモルモットを膝の上に乗せてもらい慈しみ深く背中を撫でていた。子どもが二人になってから、それぞれで違うもんだなあと思わされることが多い。

 そのあと長女はポニーに乗せてもらった。次女も乗りたいとゴネたが年齢制限にひっかかって乗れなかった。「また今度来たとき乗ろうね」と言いつつ、彼女が乗れるようになる頃にはもうこの施設自体がないかもしれないとふと思った。

 

 最後に僕のたっての願いでナマケモノを見に行った。僕は動物の中でナマケモノが一番好きだ。その次にタヌキだ。どちらもなんだか間抜けそうなイメージを負わされているところがいい。

 ナマケモノは木の枝に背中を持たせかけて、だらしなく枝に片腕を引っかけて寝ていた。木の下に落ちて幹にもたれて申し訳程度に片腕をかけて寝ているやつもいた。彼らのだらしなさに大変満足し、僕たちは帰ることにした。

 この他にも珍しいやつやかわいいやつなどたくさん動物がいた。遊園地エリアにいたってはほぼ丸々見ずじまいだった。

 

 気付けば夕方までたっぷりと遊べた。5歳も2歳もしっかり堪能し、お昼寝もしていないのにご機嫌にたくさん歩いてくれた。遊園地というと混みあったり並んだり食事にありつけなかったりと、小さな子どもを連れて過ごすには大変なイメージがある。御崎公園はそういう心配を抱えた家族にはいい施設だった。広々とした開放感がいい。

 動物の展示だって色んな動物たちを間近に見られて、正直こんなに楽しく見てまわれると思っていなかった。大人としても結構満足した。

 それから自分が子どものころに、ショッピングセンターのゲームコーナーで見たような遊具がたくさんあったのも、それだけでもアラサーたちは一見の価値があると思う。

個人的に一番刺さったのはコイツ。f:id:goodhei:20191102120723j:plain数年ぶりに幼馴染に会ったような深い感慨があった。なんならウチに引き取りたいくらいだ。

 

 こうしたのんびりした施設がとてもありがたいので、なんとか買い手がついてほしいもんだ(まあのんびりしてるからダメなんだろうけど)。

 

お話のひとつもプレゼントしてやれないなんて

 

 ここのところBorderlands3というゲームをせっせとやっていた。一度ゲームが始まってしまうと、その間の人生は「ゲームしている時間」と「次にゲームをするまでの時間」になってしまい、普段の生活をゲームとゲームの間で生きているような有様になってしまう。

 少し前に「俺はゲームが楽しいんや」と開き直ったのはいいのだけれど、さすがにもうちょっと節操があってもいいのではないかと思う。夜、時間を作れたからといって毎晩のようにゲームをしないといけないわけではない。一日置きにとは言わないが、3日に一度はゲームをしない日があってもよかったのかもしれない(とひと段落した今となっては思うけれど、多分渦中にはそんなこと露とも思わなかったのだろう)。

 同じようなことは家内にも言われた。曰く「ゲームにハマる期間が始まると自分の時間をすべてゲームに費やしてしまう。たまに夜に菓子をつまみながら付き合ってくれることもあるけれど、明らかにゲームをしたそうにそわそわしている。それは夫婦者の態度としていかがなものか」とのことだ。たしかにそうだと思う。せっかく結婚して、気の合う人が家にいるのだからもっといろんな話をしたりして過ごせばいい。

 

 ただ困ったことに、僕から家内にしてやれるほどの話がないのだ。

 家内は僕によく仕事場の話をしてくれる(話をしてくれることもあるし、話を聞かされることもある)。誠意を持って聞いてるし、長女も家内の職場の人間関係をだいぶ把握しているくらいだ。

 ただ僕はあまり家で仕事の話をしたくないこともあって、そうすると職場と家で占められている僕の生活の中で家内にしてやれる話がない。

 とりあえず二人で共通の趣味を持とうということで二人でドラクエウォークを始めた。子どもたちを寝かしつけてから、ちょっとだけ夜の散歩に出かけている。なんとも年寄り臭い。

 夫婦の団欒ってみなさんどうしてるんでしょうかね。

 

 何しろ我々は結構長い付き合いになるので、話題の引き出しは再利用しなくちゃいけないくらいカツカツだ(学生時代の思い出話は楽しいけどね)。お互いの手の内は大方知り尽くしている。家内にとって僕はコンテンツとして枯渇してしまっている(と僕自身は思っている)のだ。

 そこで。本人に直接言うと怒られそうで言えないのだけれど、もうちょっとこう、僕も家内も外に出かける頻度を増やすと、家と職場以外に居場所を増やすと互いのコンテンツ力が増したり、伴侶に話したい話題が増えたりするんじゃないでしょうか、どうでしょうか。

 現実問題として子どもたちが小さいので、そう頻繁に出かけてしまってはお互いの負担になるだろう。でも僕としては、言うほど大変じゃないし、家内はもっと任せて遊びに出かけてくれていいのにと思っている(そうすれば僕も出かけやすくなるし)。でも実際はなんとなく相手に対してズルい気がして、互いにけん制しあって自縄自縛状態だ。

 本当は一緒に二人で出かけて、いろいろ見たりおいしいものを食べたりできたらいいんだけどね。

 何しろ、子どもたちが大きくなるまで夫婦は不便を強いられるのだった。愚痴か。

インターネットは教えてくれなかった走らせないミニ四駆の楽しみ方。

 「趣味がない趣味がない」と、思えば数十年来自分の趣味のなさに右往左往し続けてきたような気がする。楽器ができるわけでもなし、スポーツも嫌いで、これといって深められるような教養もない。ただ惰性的に商業エンターテインメントを消費するばかりで、これといった打ち込むべき趣味がないことにため息をついてばかりいた。

 趣味になるだろうかといろいろ試してみたけれど長続きしない。ちょっとやってみたら面白いのだけれど、なかなかモチベーションが維持できない。たぶん一人で没頭しよう(すべき)と思っているせいだと、モチベーションが保てない理由がいまなら少しわかる。しゃーねーじゃん、友達がいねーんだよ。

 

 とはいえ、

 とはいえ、だ。よく考えると、最近の僕はミニ四駆を組み立てたり、パソコン音楽クラブの新譜を楽しみにしてCDまで買っちゃったり、子どもを寝かせてから家内とFF8をああでもないこうでもないとやりつつ来週ぐらいにでるボーダーランズ3を早くやりたかったり、行きたい音楽イベントだっていくつもあったりする。

 刹那的にあちこち飛びついてはいるけれど、それなりに充実している僕の趣味ライフじゃん。

 対象への深い理解もなければ知識もないし取り組みも浅いけれど、それは仕方ない、一緒にやる人も使える時間もないんだからと半ば開き直っている。

 

 例えばミニ四駆も、調べてみると僕らが小学生の頃に近所のおもちゃ屋のコースを走らせていたような牧歌的な案配ではすっかりなくなって、やれモーターの育成だ、やれギアの駆動効率だ、やれシャーシの剛性だとかなりの知識と労力を必要とするような世界がインターネットの向こうに広がっていた。

 ネットの時代は恐ろしく、こんなものが簡単に目に入ってしまってすぐに「俺にはそこまでできない」としおしおのパーである。実際僕もしおしおのパーになって、買ってもどうせそこまでできないし、そもそもコースないし、なんとなく懐かしい程度でミニ四駆に手を出すのに気が引けていた。

 気が引けていたんだけれど、いつまでもミニ四駆が頭の片隅から離れず数週間が過ぎた。いい大人である。一台1,000円もしないミニ四駆にいつまでかかずらうのかと、思い切って買った。走らせるコースもないのに。ダメならそれでいいじゃん。

 

 えいやと買ってみて、組み立ててみて、楽しかった。そうそうこれこれと子どものころにも同じように楽しかったのも思い出した。この楽しさには確かな手ごたえみたいなのがあって、これでいいじゃんと思った。

 さて組み立ててみると愛着がわくもので(俺のトライダガーX…)、子どものころはうまくいかなかった塗装をやってみたくなる。何色で塗ろうか。一週間くらい、夜に子どもたちを寝かしつけようとトントンしながら頭の中は何度も様々な配色をイメージしていた。何色で塗ろうかと考えるだけで一週間楽しめた。

 さあいよいよ塗装をしてみると思いのほかうまくいき(俺のトライダガーX!)、今度はすこしパーツを足してみたり、走らせるわけではないけど無意味に電池を入れてタイヤが回る音を聞いたり、別売りのシールを買ってきて貼ったり、そうして出来た俺のトライダガーXを前から横から上からうっとりと眺めたり…。f:id:goodhei:20190829002931j:plain

 

 けっきょく今のところコースを走らせる予定もないので、自分のミニ四駆がどのくらいのスピードで走るのか全く分からない。ミニ四駆の楽しみ方の本質とはおおよそかけ離れているのだけれど、いいじゃん、僕は楽しいんだから。自分で組み立てて好みの色で塗り分けたトライダガーXを眺めたり、空回りする音を聞いてコースを駆け抜ける姿を想像したりするだけで、僕はミニ四駆を十分に堪能している。

 インターネットで調べてもこんな楽しみ方は載ってなかったぞ。(でもそういう楽しみ方を、たぶん小学生の頃の僕たちは知ってた気もする。)

 

 趣味をちゃんとやらなきゃと思ったり、他の人と比べて浅いなと思ったり、そうするとなかなか自分にとっての趣味を認めるのは難しい。まだこれじゃ趣味には足りないと思っていると、まさにいま確かに楽しんでいる自分に気付かない。

 でもまあ所詮趣味なんだし、いま刹那的に楽しかったり快感があればそれでいいじゃんね。ミニ四駆をコースで走らせたことなくたってマシンを眺めて楽しかったらそれでいい。時間の都合があわなくてリリパいけなくても車の中で聴いて軽くノれたらそれでいい。何週もやりこまなくたってディスプレイのなかのキャラクターと一緒にドキドキできたらそれでいい。DJがかけてる曲がなんなのかわかんなくても楽しくノれたらそれでいい。(…ですかね?)

 

 趣味。肩ひじ張らずに、ふらふらあちこちに浮気して、そこに自分の快楽があるかどうかちゃんと気付くのだけちゃんとやって、あとはいい加減な感じでやっていけたらいいと思ってます。知った風に偉そうなことだけ言わないように気を付けます。