凡庸

週一くらいが目標です。

凡庸の凡庸(2020.05.02)

 世の人のすなるZOOM飲み会といふものをしてみんとてするなり、つって何ら必要性があったわけじゃないけれどその物珍しさにやってみたくなり、大学の同級生をLINEで誘ったところ割と色よい返事が返ってきた。

 ので、昨日の夜試してみた。

 

 結果的にお互いでやいのやいの言うだけで、しかもネット環境によって多少ラグがあり(そしてそのラグがひどいやつに限ってしゃべるまくるせいで)妙な間抜けさが発生して話に進展はなかった。

 途中、子どもを寝かしつけた家内も僕の隣で参加して、かつての友人たちの顔を見て懐かしがっていた(夫のボサボサに伸びてる髪の毛なんとかしてやりなよ、と言われて笑っていた)。

 「試してみたけど結局昨日は何にも話は進まなかったよ」と家内に話したら「そんなの学生頃からそうじゃん」と言われた。確かにそうだ。思い返せば僕たちの話が何か先へ進んだためしはなく、会うたびにお決まりのくだりを何度も繰り返している。

 

 ZOOM飲み会での気づき

・カメラに飲み物を近づけて「かんぱーい」とやると、想像以上に乾杯感が出る。

・自分の顔を見ながら酒を飲むのは変な感じがする。

・いつもよりみんな髪を気にする。

・お互いが用意しているツマミを見せ合うと楽しい。

・9人でやると6人はダラダラ飲みながらただ聞いてるだけ。

・寝そうになるとすぐばれる。

・知っている人がしゃべっている声を聞きながら飲む酒は寂しくならない。

 

 それにしてやっぱり人間にとってコミュニケーションっていうのは快楽なようで一度やると癖になりそうですね。楽しかった。

 でもやっぱり直接会ってわーわー言いながらお決まりのくだりで笑いたいもんだ。はやくコロナをなんとかしてくれ(クラブも行きたい)。

  みなさんお元気してますか。

四者四様四等分。

 何につけても口をついて出るのはコロナ、コロナだ。我が家においても影響は免れず、僕も家内も仕事ではその対応に追われ、年長さんとして大役を担うはずだった長女の保育園の進級式は中止になり、次女は…次女はまあいつも通り自由にやっている。

 週末も「不要不急の」外出を控えて家の中でブロック遊びをしたりひとけのない小さな公園で少し遊んだりして過ごしている。そして週が明ければウィルスに感染して家族にうつしやしないかとビクビクしながら電車に乗って仕事に行く。

 やな春だ。

 

 幸いにもうちの子どもたちは週末に家の中にいてもそれほどイライラが溜まるわけでもないらしく、姉妹でテレビを見たりおもちゃで遊んだり時々けんかしたりしながら、おおむね平和に過ごしている。

 土曜日はみんな少し朝寝坊をして、昨日僕が買ってきた551の豚まんを温め直して食べた。豚まんを食べるときには次女は口が小さいのでそのままだとなかなか餡にたどり着かないだから。四等分にして切ってやっている。下の歯がグラグラしている長女も大きな口でかじることができないので自分の分も切ってほしいと言っていた。二人とも自分の顔ほどある豚まんをペロリと食べた。大阪に来てよかったなと思うのは好きな時に551の豚まんを買って帰ることができることだ。

 それから掃除機をかけたり2回目の洗濯機を回したりしていると、玄関のチャイムが鳴った。待ちに待ったたこ焼き器が届いたのだ。これでたこ焼きパーティーもできるし、名実と共に晴れて我が家も大阪ファミリーとなったわけである。

 この喜びをTwitterでつぶやいたところ、

 諸先輩方からオススメのレシピを教えてもらった。精進します。

 

 さっそく家内はたこ焼きの具材と来週分の買い出しに出かけた。残された僕と姉妹はとりあえず家の前の庭(駐車スペース?)に出て、少しでも日光浴をすることにした。狭いスペースをランニングバイクでちょろちょろしたり、なわとびで遊んだり(なわとびをしたわけではない)して遊んだ。

 しまいには長女がチョークで地面に線を書き始めて何かと思いきや「おうちごっこをしよう、ここ玄関ってことね」というのだけれど、玄関ってことも何もすぐそこが玄関だしごっこも何もそこおうちじゃん、と思ったけどそんな野暮はやめてお兄ちゃん役をちょっとやった(ランニングバイクでぐるぐる爆走していた次女はお母さん役でした)。

 そんなことをしているうちにどっさりと具材を抱えて家内が帰ってきたので、本物のおうちに戻ってたこ焼きの準備に取り掛かった。

 自分で作ってみて、タコ以外の具材も入れてみてわかったのだけれど、たこ焼きってやつはあれ、タコから出るダシが結構大事ですね。何か入ってれば一緒だろと思っていたけれど、やっぱりウインナーやモチやチーズでは出ない旨味みたいなのがたこ焼きにはある。あと自分で具材そろえるより店で買ったほうが安くつきますね。

 家内に教えを請いながら不器用な手つきでひっくり返すと、意外ときれいにまん丸に焼けて楽しい。それから余りそうなタコをタコだけで焼いて食べてもおいしいし楽しい。家でするたこ焼きはとても楽しかったので子どもたちがもう少し大きくなったらひっくり返す役とかもやらせてあげたい。またやりましょう。

 

 粉もんで腹が膨れて昼寝をしていた僕と次女が起きてくると、家内と長女が台所でなにかやっている。見るとうちで一番大きな鍋の中にタケノコが浸かっていて、灰汁抜きが済んだのでこれから家内と長女ふたりで皮むきに取り掛かるそうな。家内は僕と同い年なのにタケノコの下処理の仕方なども知っていて、こういうときに家内のことを尊敬する。おまけに長女に手伝わせてやることによって、あの生えているタケノコがどうやって食べるタケノコになっていくのかを授業してやっているのだ。家内はえらいなあ、と昼寝起きの次女のオムツを替えながら思った。

 それから長女が家内にタケノコの皮をくれ、というので何かと思ったら、先週のサザエさんでタケノコの皮越しに梅干しを吸う、みたいなやつをやっていたそうで、それをやりたいということだった。長女も偉いよなあ、そういう知的好奇心は本当に偉いと思うよ。

 晩御飯はタケノコご飯だった。タケノコは特にこれといった味がするものではないけれど、春めいていておいしいと思う。子どもたちにはそれほどウケなかった。食後に昨日家内が買ってきていたシフォンケーキの余りを分け合って食べた。

 

 子どもたちが寝てからプラモデルを作った。外に出られないから家でロボットのプラモデルでも作ろうとか言ってるんだけど、プラモデルを作るのはだいたい家族が寝静まった夜なのだから、外出ができようとできまいとあまり関係ないな。

 

 日曜日はプリキュアがやるので少なくとも8時過ぎには起きなくてはいけない。いつもなら近所のパン屋さんに子どもと行くのだけれど、世の中の流れ的に控えた。トーストを焼いて、両面焼きの目玉焼きとウインナーとで朝ご飯にした(我が家ではおうちモーニングセットと呼んでいる)。ここでもやっぱり僕はトーストを四等分に切って出してやった。

 この日の午前中は例のおうちで踊ろう動画について夫婦で怒っていた。特に家内はここ数日、コロナウィルスに発した仕事の繁忙ぶりに疲弊しているのもあり、Twitterの言論に同意したり反発したりと気分的にも参っていた。そこにあの間抜けなやつが目に入ってしまったので、洗濯物を畳みながら心底がっかりした様子だった。

 

 難しいですね。怒りは怒りとして思う存分怒るべきだと思う。きちんと怒りの声を上げて態度表明をするもはとても素晴らしいし、ノンポリぶってクールで客観視できる第三者を気取るのはたぶんこれからどんどんダサくて反知性的な所作になっていく気がする。だから怒りにしろ抗議にしろ政治的に態度表明するのは重要なことだ。

 ただし、政治的に怒っている人もいつまでも怒っている必要はなく、個人的な生活領域の中では穏やかに享楽的に過ごしていてもいいと思う。そのささやかな個人的生活を守るためにも、政治に対し怒りを以て態度表明をするのは大事だ。でもその怒りで生活領域まで焼き尽くしてしまわないようにするべきだし、意識すればできることだと思う。不実な政治に怒ることと、ささやかな生活を過ごすこととを両立したい。

 (誰にだってささやかな生活をおくる権利はある。豪華なソファーに足組んで座って犬を撫でて英気を養うことだって必要かもしれない。だけどそれをメッセージ性のあるものとして発信した時点でそれは個人的領域ではなくて政治的領域にあるものになってしまうに決まってるじゃないか。そしてその政治的メッセージがどんなに人を不快にさせるか、そういう想像力すらないことに絶望していた)

 あんまり怒ってばっかりいたり、怒りに触れてばかりいると疲れてしまうね、というような話を家内とした。

 

 それはそうとして長女の靴を買いに行った。金曜日ごろに足が痛いというので爪を切ってやったが、両親でよくよく考えて靴が小さいのではないかという結論になった。痛がる娘に新しい靴を買ってやるのは重要度の高い買い物だ。長女はオレンジ色のきれいな色をしたスニーカーを選んだ。ついでに家内もスニーカーを新調していた。帰りにマクドナルドに寄ってハンバーガーを買って帰った(次女のチーズバーガーはまたしても四等分にされた)。

 

 仕事をしていると子どもたちの顔が浮かんで帰ったら存分に抱き上げてやろうと思うのだけれど、週末隙あらば膝の上に座ってきたり僕とコタツの間にもぐり込んできたりされながらずーっと過ごしていると、姉妹で遊んでいてこちらを放っておいてくれる時間は助かるなと思ってしまう。ついつい世話がおざなりになるけれど、こんなに小さくて懐いていてくれるのはいまだけ、いまだけ……。

二月の魔物はどこにいたんだ。

 世間じゃニッパチなんて言って、一般に二月と八月は農閑期(言い方あってる?)なのだけれど、なぜか僕は例年二月になると仕事がバタバタする年が多い。キャパシティもあまりないせいでダイレクトに疲労やストレスに直結してしまう。おかげで寒さと薄暗さも相まって二月は気が塞ぐ。

 毎年心のどこかで気を付けていて、今年の二月はなんだか滑り出しが大丈夫そうで気を抜いていたのだけれど、半ばに差し掛かるあたりから予想外の暗雲が立ち込めて、月末にはてんやわんやである。二月は魔物が棲んでいる。

 そうすると、本当に申し訳ないのだけれど、家族にしわ寄せがいってしまう。仕事が遅くなったり休みの日に出たりする羽目になる。それでも家内は嫌な顔一つせずに子どもたちや家のことを引き受けてくれる、ありがたい。それなのに帰ってきた僕はといえば、わかっちゃいるのだけど、子どもたちの「聞いて聞いて」に作り笑いを浮かべるのもしんどい。それどころか次女には「早く食べなさい」と怒ってばかりいた。

 そんな二月だった。

 

 そんな暗雲にも、月が替わるころにようやく晴れ間が差した。三月は好きだ。否応なく春がやってきて色んなものをリセットしてくれる気がするし、自分の誕生日もある。

 少しずつ仕事が落ち着いたりひと段落したりして、少し体調を崩した家族を気遣えるようにもなった。コタツの中で鬱々として無為に時間を潰し、何かを忘れるように皿を洗ったりゴミをまとめたりせずとも、機嫌よく夜の家事にも取り掛かれるようになった。三月は好きだ。

 

 そして今日は、次女に怖い顔をせずに済んだ。いつものように次女は家族が食べ終わったあとも、もっちゃもっちゃと食事をしている。先週の僕ならきっと「早く食べなさい」を100回は言っていただろう。

 でものんびりと牛乳入りのコーヒーを飲みながら見守ってやると、次女も多少気が散りながらだけれども、今日は自分から野菜にも取り組んでいる。時間がかかっているのはきっとほうれん草の胡麻和えが上手に噛み切れないせいだろう。「お味噌汁飲んで一緒に飲み込むといいよ」なんて声を掛けてやりながら、のんびりと見守ってやれるだけの体力と精神的ゆとりがある。そういえば今日はピーマンの肉詰めの、ピーマンも積極的に食べていたな、なんて思いながら次女を見ていた。次女は最後までがんばってほうれん草の胡麻和えを食べ、味噌汁も飲み干した。えらいね、おやさいがんばってたべたね。

 

 家内は一足先に長女と一緒に風呂に入っていた。お父さんと次女チームは風呂を待つ間、こたつに入って絵本を読んだ(そういえば今日コープから届いた絵本を、初めて読むにもかかわらず、長女が次女にとても上手に読み聞かせをしていた)。

 絵本を読みつつ「○ちゃん、今日お風呂入る前におトイレ座ってみよっか」と声をかけてみる。「いや」とつれない返事。それでも「がんばって練習してみようよ」と粘ってみるも「おトイレいやー」となかなか納得してくれない。仕方ないかと絵本の続きを読んでいると、家内と長女がお風呂から出てくる音がした。

 その音を聞いて、次女は僕の足とコタツの間から這い出て、すたすたとトイレのほうへ歩いて行った。「おトイレ座ってみるの?」「うん」。

 おしっこは出なかったけれど、えらいね、かっこいいね、おねえさんだねとべた褒めをしてやると、「○ちゃんかっこいい?おねえさん?」とお尻まる出しで得意げだった(おしっこ出てないくせに)。お風呂から出てきた家内にもトイレに座ったことを自慢して褒めてもらっていた。

 

 お風呂の終わりごろ、湯船のなかの次女が「おしっこでそう」と言う。慌てて体を拭いて「おかあさんにおトイレしてって言いな」と風呂場から出した。僕も風呂場から出て体を拭いていると、トイレのほうから家内の「すごーい」という大げさな声が聞こえた。これは、と思って濡れた頭でトイレへ行くと、満面の笑みでトイレにまたがっている次女がいた。「おしっこ、ちょろちょろってでた」とのことだった。

 お母さんにもお父さんにもお姉ちゃんにも、やんややんやの喝采を受けて気を良くした次女は「おばあちゃんにも、おしっこでた っていう」とのことであったので、頭を乾かしてやってからテレビ電話で報告させてやった。おばあちゃんもおじいちゃんも大喜びだった。

 

 子どもたちの歯を磨いてやっていると、家内が「今日のお帳面、見た?」と笑いながら見せてくれた。

 お帳面には次女の今日一日の様子が書いてあるのだけれど、その最後のほうに「…砂でままごとをしながら『お父さん しんどいねん きげんわるいねん』と本当かどうかは分かりませんが教えてくれました」と書いてあった。

 こちらがいくらか怒っても屁とも思っていなさそうで、まったくふてぶてしいやつだと次女のことを思っていたけれど、子どもというのはきちんと見ているし、わかっているものだ。

 お帳面の保護者からのコメントには「次女の言う通りです」と書いたうえで、今日の次女の活躍っぷりも書いておいた。先生もいっぱい褒めてもらうんだぞ。

 

 三月はいい月になりますように。