凡庸

週一くらいが目標です。

買ったメモリー2023年(下・お楽しみ編)

引き続き今年買ったものの思い出です。役に立つかどうかはさておき、楽しい気持ちになるために買ったものたちです。

 

〇ティアキン

今年の夏は家族であちこちへ行ったけれど、そのお出かけ先のひとつにハイラルを加えてもいいと思う。夏の一時期、夕飯後に僕がプレイする「ゼルダの伝説 ティアーズオブキングダム」を家族でああだこうだ言いながら見る、という時間があった。

子どものころからRPGゲームが好きだったのだけれど、RPGって一人でその世界に没頭しながら(ロールをプレイしながら)やるもんだし、RPGをやっているところを誰かに見られるのは恥ずかしいものだと思っていた。だからこんなふうに家族からやいのやいのと言われながらやるゲームがこんなにも楽しいとは思っていなかった。

「ここから飛んでみてやー」「あそこ!キノコ!」「ボコブリンってよく見るとかわいいよな」「その変な服やめて!」「ちょっと待って!これガードせなあかんのやない?」「食べて!早く食べて!」「あそこの『遠足』倒しにいかへんの?」

長女も次女も物語の流れや状況をよくわかっていたので、次の目的地やルート、必要なアイテムなどある程度相談しながらゲームを進めていった。ゲームの最後、ラスボスに挑戦する日はテレビの前にテーブルを出してみんなでおにぎりを食べながらリンクの冒険の終焉を見守った。

子どものころ兄弟や友だちと「死んだら交代」でわいわい言いながらロックマンゴエモンをやったのを思い出した。ゲームは楽しい。

(そして円滑に冒険を進めるために僕は夜な夜な祠を回ったりワープ地点を確保したり、えんえんと真っ暗な地底を探検したりしていた。あれはあれで楽しかった)

 

〇パルケエスパーニャで買ったキャラクターカチューシャ

以前ブログに書いた(https://goodhei.hatenadiary.jp/entry/2023/04/06/010451)けれど、家族旅行で行ったパルケエスパーニャで子どもたちにカチューシャを買ってやったらこっちまで気分が上がって楽しかったし、そういうのを買って楽しめる側の人間であることが、なんだか自己肯定感もあげてくれた。

そういえばしばらくあれ見ないけど、どこかにしまってあるんだろうか。

 

〇ちいかわのボールペン

もちろん職場では筆記用具を使うのだけれど、整理整頓も管理も雑すぎてすぐにペンがどこかいってしまう。おまけにそういう自分のズボラさを知っているので、どこぞのもらいものや自分でまとめて買ってきたものをごちゃっとペン立てに突っ込んで手に触れたものを使う、としているのだけれど、それにしても段々と書きやすいとかデザインがとかでお気に入りが生まれて、何となくそれを探したり失くしたことに気づいたりして少し落ち込む。ペン一本まともに使えない自分に少しがっかりする。

長女が文房具を買うのに付き合ってイオンのファンシーショップに行った際にちいかわのSARASA CLIPを買った。おじさんこそファンシーグッズを身に着けるべきだと何故かふと強烈に思ったのだ。

以来、失くさずちいかわのボールペンをスーツの内ポケットに挿していつでも使えるように持ち歩いている。ちいかわは目立つので他のペンに混じらない。他人のとも間違えることは(いまのところ)ない。

正直、書き心地についてはもう少しソリッドで細いペンが好きなのだけれど、ちいかわであるか否かは他に代えがたい。俺はちいかわを失くすことなく胸に挿して仕事をしているのだ、という気持ちが、日々の自分に対するガッカリを慰めてくれる。

胸に、心にファンシーグッズを。案外僕の一年を支えてくれた一本だった。

 

〇冬のチョコパイ 濃厚仕立て

最近かなりはまっている全部チョコのチョコパイ。味がおいしい。毎日食べたい。

 

ダイアクロン

まあ、ガンダムをはじめとするロボットのアニメやプラモデルが好きなのだけれど、ロボ好きは常に様々なジレンマを抱えている。特に最近気になっていたのが、大きすぎるのだ、人間には、ロボットは。

この場合のロボットとは、立体物であるプラモデルが手に入りやすいガンダムを指しているのだけれど、設定上ガンダムに登場するロボットたちは大体が18メートル程度だ。18メートルというと5~6階建てのマンションに相当するらしい。

外を歩いていてマンションを見上げる。あのくらいの大きさのロボットを一人で動かすのか…一機走るだけで街はめちゃくちゃになるんじゃないのか…あのデカさで「ステルス仕様機による隠密作戦」とか何考えてるんだ…あのデカさでビームライフル一本バキューンと撃つだけなのか…下から見ると余計にスネとかヒザがガラ空きだな…などと考えてしまって少し悲しくなってしまう(めんどくさいね)。

そういうわけで、夫婦で楽しく「水星の魔女」を鑑賞し、プラモデルも買って作っていたのだけれどガンダムから気持ちが離れつつあった。かなしい。

そんなとき出会ったのがタカラトミーが発売してる「ダイアクロン」だった。

ダイアクロンの最高なところは全長3センチほどの「ダイアクロン隊」の隊員フィギュアが付属するところである。このダイアクロン隊員フィギュアはたった3センチしかないのに肘や膝や腰が曲がるようになっているので、立った姿勢から座った姿勢に動かしてやることでロボットに乗り込むことができるのだ!乗り込むことができるんですよ!

そしてロボットも隊員よりも少し大きいくらいのサイズのパワードスーツタイプから、地上戦艦と空中要塞が合体して完成する超巨大ロボットベースまで各種サイズが取り揃えられているので、自分の納得のいくロボットを買って隊員を乗せたり降ろしたりして楽しむことができるのだ!できるんですよ!

おまけにダイアクロンたちは大抵が変形、合体メカニズムを搭載しているので、ロボット形態にしたり乗り物形態にしたり中間形態にしたり、またロボットに戻したりと遊ぶこともできる。「いやー言うてもそんなカチャカチャとせんでしょ」と思われるかもしれない。自分もちょっとそう思っていた。でもロボット形態を眺めていると、だんだん乗り物形態も見たくなってくる。そこで変形させてニヤニヤ眺めているとやっぱりロボット形態も見たくなる。また変形させると、今度は隊員が乗ってることを確かめたくなって、コックピットハッチを開ける、隊員を降ろす、また乗せる、乗り物形態にする…。とついつい触ってしまうのだ!触ってしまうんですよ!

隊員の足の裏にはマグネットがついているので、スチール板やマグネットシートの上で立たせてやることができる。そこであれこれ切ったり貼ったりして、小さな基地も作ってしまった。その基地の中で夜な夜な隊員たちに作戦会議をさせたり出動準備をしたり帰還した隊員をねぎらったりして遊んでいるのだ!遊んでいるんですよ!30も半ばを過ぎた大人が!

惜しむらくは高いのでそうホイホイと買い足すことができないことだ。叶うならサンタさんにお願いしたいところだけれど、大人なので妻にお伺いを立てるしかないのだ。ないんですよ…。

 

今年(今年度)は手帳を日々スペースの大きいやつを使っているので、ちょっとした日記も書いている。そのおかげでこうやって一年を振り返ることができて楽しい(1~3月の記録はやや薄い)。

できれば本とか音楽とか映画のこともこうやって言葉にしておきたい。

買ったメモリー2023年(上・お役立ち編)

今年ほぼ唯一の忘年会は長女と自分の風邪で辞退した。本当は「今年こんなん読んだんですよ、観たんですよ、買ったんですよ」と酔った勢いで恥ずかしげもなく自己開陳したかったのだけれど、残念ながらその機会は得られなかった。

 

のでここで書かせてください。

 

ブログのいいところは相手が聞いてようと聞いてまいと(読んでようと読んでまいと)誰かしら届いたろうと一方的に満足できるところだ。

というか自分でこうやって言葉にするだけで結構満足する。自分が聞いてくれるからだろうか。

ただ喜んで書いていると妙に長くなってしまった。自分が書いて満足するには別にいいんだけど、Twitterなんかで「もしよければ読んでください…」とやる手前、あんまり長いと迷惑だろうし読んでもらえないと思い、お役立ち編とお楽しみ編の上下に分けた。どのラインがお役立ちでお楽しみかっていうのは微妙なところだけど分けました。

 

〇アルバム

コロナ感染症による行動制限も緩和され、子どもたちもちょうどいい大きさになり、今年は家族のお出かけがずいぶん増えた。当世の親らしくお出かけをするとアホみたいに写真を撮りまくるのだけれど、みんなで見返すにはスマホは不便だ。そこで今年から春夏秋冬ごとに写真をネットプリントで現像してアルバムに差し込むようにした。

始めのころはワンシーズン40~50枚ほどだったのが徐々に増えつつある。遠出をした写真もあれば、家でみんなで足を並べて寝転がっているだけ写真もある。長女が食べ物を持ってにっこりしている写真や、次女が面白い顔をして変なポーズを決めている写真もある。子どもたちに撮ってもらった夫婦のツーショット写真も恥ずかしげもなく現像してアルバムに入れている。

こういうのはもう少し寝かせておくといい味が出ることを知っている。楽しみ。

(とはいえ遠い遠い未来ではこのアルバムが捨てるに捨てづらい「負債」になってしまうことも薄々気にしている…。ありとあらゆる天下の万物はいずれゴミになって捨てられる運命なのだ)

 

〇スティック掃除機

だましだまし修理をしてもらいながらドラム式洗濯機を使っていたがとうとう壊れてしまった。仕方ないので阪神も優勝したことだし…と新しい洗濯機を買いに行ったのだけれど、気に入った洗濯機がメーカー指定価格とかで大して値引きをしてくれなかった。じゃあ、と以前から気になっていたスティックタイプのコードレス掃除機もついでに購入した(こちらも「おおっ!」というほどは引いてもらえなかった)。

軽いこととコードにつながっていないこととがこれほどまでに掃除を自由にしてくれるとは思わなかった。この掃除機ならどこまでもいける、どこまでも自由だ。この感覚はこの夏大いにはまった「ゼルダの伝説 ティアーズオブキングダム」(ティアキン)の感動とほぼ同じだった。

今作のゼルダでははるか遠くの空に浮かんで見える島にもなんらかの方法でたどりつけるのだけれども、このコードレススティック掃除機も家の中の見える場所全てにたどり着けてしまう。むしろ様々なスキルやアイテムを駆使しなくてはたどりつけないティアキンに比べ、この掃除機はこれひとつでどこまでも行けてしまう。その点ではティアキン以上に自由度が高いといえる。

ただ、購入したのはサイクロンタイプで使うたびに手入れが煩雑なので、紙パックタイプを買えばよかったとちょっと後悔している(買うときにはサブ機のつもりだった)。

先日実家に来た両親にも自慢をして「これは素晴らしいものだからぜひプレゼントしよう」と口を滑らせてしまった。こっそり紙パックタイプを新しく買って、現行使用しているものをプレゼントしようか…。

 

ユニクロで買った帽子

ユニクロでおそらくランニング用と思われるふにゃふにゃの黒いキャップを買った。伸縮性がよく頭の形に合うし、ネットに入れてそのまま洗濯機で洗えてしまうので重宝した。夏の間ずーっとかぶっていた。そもそもここ数年夏の終わりごろになると鏡に映る髪がやたらとスカスカしている気がしてそれを気にしていたのだった。妻に相談すると「紫外線かもね」と言われたので今年の夏は帽子と日傘を身に着けるようにしていた(それから育毛剤も使っています)。そのおかげか、今年はそれほど悲しい気持ちにならなかった。もうそんな年齢だ。ご自愛しましょう。

日傘はネットで買ったやつが安かたのはいいんだけどちょっとの風ですぐに裏返ってしまって難儀したので、それほど買ってよかったとは思っていない。

 

〇Fire TV stick

この夏子どもたちだけで実家で過ごす機会があり、子守に疲れたらこれでなんぞ見せてやってくれと実家に差し入れしたところ、行き来するたびに両親が「見るもの多くて夜更かししちゃった」とうれしそうにしている。他人に言うと「その程度のことで」と言われてしまいそうで恥ずかしいので言わないけれど、料金は僕のカードから落ちるようにしているところも親孝行気分があってよい。できれば妻の実家にももうちょっと親孝行したいとも思う。

 

お役立ち編はこんなもんか。お楽しみ編はこれより文章が長い。

よろしければお付き合いください。

凡庸の凡庸(2023.12.02)

実家の両親が京都に行くついでに大阪にも足を延ばしたいから一泊させてくれないかと言うので妻に相談したらお許しが出た。

自分たちが実家にお世話になった時も、逆に両親がこちらへ来たときもスーパー銭湯が便利だ。まとめて風呂は入れるし食事も同じ施設で済ませてしまえる。帰ったら寝るだけだ。「まあここはうちで持つよ」なんて見栄張っても大して懐も痛まない(実家で食べさせてもらう食事に比べたら全然)。スーパー銭湯、いいですね。

両親の目的は孫に会うことで、孫に会って話をしたりちょっと遊んだりしたりできれば十分ぽい。あとは少し父に対する母の愚痴を聞いてあげるくらいか。

子どもたちにとって祖父母に会う効用はいろいろあるけれど、今回ふと思ったのは、ふだん家でガミガミと偉そうに怒っているお父さんだっておばあちゃんやおじいちゃんからしたら息子に過ぎないので、「お父さんが○ちゃんたちくらいのころなんてね…」などと情けない昔話をしてくれるのは、相対化っていうか、親だってそんな大したことないんだなと思えることかもしれない。お父さんたちの頭の上がらない人たちが私たちのことを褒めて甘やかしてくれるということが、祖父母と孫のいいところなのかもしれない。両親にああだこうだと言われながら、その様子をニヤニヤと見ている子どもたちを見ながらふと思った。

翌日、両親は孫に服だの靴だのをいろいろ買ってやって実家へと帰っていった。僕もちょっといいコーヒーの粉を買ってもらった。冬だしそろそろ温かいコーヒーが飲みたかったのだ。

 

さらにその翌日。買ってもらったばかりの服と靴を身に着けて、家族で都会へ出かけた。シルバニアファミリーの映画を見に行った。

映画の間、妻にはウィンドウショッピングをしてもらうことにして、映画は三人で見た。ちょうどお昼の回だったので、ポップコーンとジュースは三人でひとセットだけにした。入場者特典は子どもたちだけでなく僕の分ももらえた。大人でもシルバニアファミリーファンっているしな。

映画は善人(人?)しか出てこないかわいらしいお話で、うちにもあるシルバニア人形たちがああやって生き生きと動いているのを見ると、またお人形遊びも楽しいだろうなと思って見ていた。

(ただ、シルバニア「ファミリー」というだけあって、両親がいて、血のつながった子どもたちがいて、その「ファミリー」を愛することが最も素晴らしい!というメッセージは今の時代ちょっと想像力足りないよなと思う。シングル家庭や祖父母のもとで育つ子たちだっているんだから、そろそろシルバニア村のファミリーにももっと多様性があってもいいんじゃない?と思う。そういやよく考えたらシルバニアファミリーって大体が同じ種類の動物の両親と子どものセットだよなあ。

そろそろいいんじゃない?何の説明もなくバラバラの動物のファミリーとか、シングル家庭のファミリーとかの商品が出ても。そういう色んな家庭環境があってもシルバニア村の共同体という大きなファミリーがあれば自然にハッピーに暮らせるってことでいいんじゃない?(ってつまらんくらいに標準的ファミリーでやってる僕たちが言っても説得力無いわな))

 

映画を見終わったので妻に連絡して、途中ツリーの前で子どもたちの写真を撮ったりしながら、ショッピングビルのレストランフロアで合流した。お昼時には少し遅かったので待たずに入れたのがありがたかった。

入ったのはハンバーグレストランで、ポップコーンも食べたしと思っていたのだけど、ポップコーンが効いてるのはお父さんだけだったようで、次女はお子様セットをぺろりと食べるし、長女にいたっては大人用のメニューを食べたうえに僕や妻からも少しおすそ分けしてもらっていた。頼もしい限りだし、すっかりこういうお店でも世話なく食事ができるのが、家族として大きくなったよなあと思う。

 

そのあとは僕のアウターと妻のスカートを買うのに付き合ってもらって、その代わり次女のリクエストでみんなで焼き芋を食べて、長女はお土産にケーキを買って帰った。

次女は昨日おばあちゃんに買ってもらったイケてるブーツを履いてけっこう歩いたのだけど全然文句を言わなかった(もちろん長女は都会の様子に意気揚々と歩いていた)。

子どもたちが機嫌をよくしてくれていたおかげでずいぶんと楽しいお出掛けになりました。

 

そうだ。その都会へ出かけた日の明け方、急に左足の土踏まずにチクチクピリピリした痛みを感じて寝られなくなってしまった。寝ようとしても布団やなんかに擦れるたびに痛いので諦めて起きた。リビングまで歩くのもチクチクピリピリする。暗いリビングでスマホのライトで足の裏を照らしても原因は分からない。明らかにトゲの刺さったような痛みだけれどそれが見つからなかったのだ。

もう駄目だと思った。映画に見に都会へ行く約束をしていたけど今日一日は台無しになるし、もしかするとこのチクチクピリピリはずーっと続いて僕の人生そのものが台無しなるんだと思った。

悲しい気持ちで人生を諦めて左の足の裏だけ布団から出してウトウトして、妻を起こしてもいい時間まで待って、妻を起こして足の裏を見てもらった。「これちゃう?炙った針でとったるわ」と針を持ってくるので僕は、針!とビビッたけど妻は僕の足の裏にあった鉛筆の芯のカスのような黒い点を針の先で何度か撫でて「…いけた!」と取ってくれた。

恐る恐る歩いてみるとあの嫌なチクチクピリピリとした痛みは消えていた!ありがとう妻!家族の一日を、僕の一生を救ってくれた妻!ありがとう!

どうやら髪の毛のかけらみたいなものが、加齢の為に乾燥した足の裏の皮膚の内側に運悪く入り込んでしまったようで、妻はそれを見事摘出してくれたのだった。

それにしてもあんなに小さな、本当によーーーーく見ないと分からないような小さな髪の毛のかけらが、あやうく僕の一生を台無しにしかねないほどの痛みを引き起こすとは、何やら示唆的なものを感じた。たとえば社会は途方もなく大きなものだけれど、ちっぽけな一人の人間がその社会を機能不全にするような影響力を発揮するとか…。まあそういう無意味で大げさなことを考えるくらいに痛かったのだ。ありがとう妻。

 

そういうわけで我が家は楽しい週末を過ごすことができました。ハッピー。