凡庸

週一くらいが目標です。

僕は勉強ができなかった。

 高校時代の自分がどんなのだったかおぼろげだ。

 

 僕が通っていた高校は田舎にある共学の進学校で、普通科の公立高校なのに選抜クラスと普通クラスに分かれていて、定期考査の上位100位以内は総合と教科別に各クラスに張り出され、クラス順位1位を取ると金色のネクタイピンがもらえる学校だった。(そして金色のネクタイピンも「選抜クラス」で獲得したネクタイピンでないと価値がなく、「俺も普通クラスなら金のネクタイピン取れるのになー」というのは定番のジョークだった)

 その学校で僕は、選抜クラスの下から5番以内をキープし、同じような順位の男子たちと定期テストのたびに今回の最下位を確認しあい「バカクリンナップ」とか言って笑ってた。さすがに1番打者になったことはなかったと思う。

 

 提出物を出さないし小テストの勉強をせず結果も散々だったので、よく職員室に呼び出されて先生に怒られていた。だからできるだけ職員室には近づきたくなかった。特に2年生の担任を持ってもらった英語の先生と相性が最悪で、あるときなんかは授業後に前に呼び出され、なにかと思えば「授業中にペンを置いていた」と怒られた(授業態度はそれなりにまじめだったと思うんだけど。居眠りはほとんどしなかったし)。

 好きだったのは3年の担任を持ってもらった歴史の先生で、この先生は結構いい加減な雰囲気の上に、怒り出すスイッチが不明なため変なタイミングで激怒することはあったけど、僕はそういう理不尽に怒られたことはなかったのでまあいい。覚えてるのは3年の進路面談のときに「お前はなんか俺に似てるから、たぶん最後はうまいこといくと思うよ」と言われたことだ。受験生の進路面談でなんだそりゃ、と思ったけど、その言葉がけっこううれしかったし、今でも覚えている。たぶん本人は忘れている。

 皮肉っぽい現代文の先生や、めちゃくちゃに厳しい京大卒の数学の先生、とんでもない柄のワンピースを着ていた書道の先生とか、チャラチャラした生物の女性の先生がいたよなあと、少し思い出せる。

 

 部活はいい加減だった。バスケットボール部だったんだけど、全然うまくならないし、後輩にまで抜かれてレギュラーじゃないし、同時期に通っていた空手道場のほうが面白くて練習もさぼってばかりだった。でも部活のメンバーと一緒に下校していたのは覚えている。そいつらとは今は全然連絡とったりしていない。

 これ、といった友達やグループはなかったと思う。学級委員とかやったり、クラスの集合写真なんかでは真ん中で寝そべって写ったり、校外学習のバスでは一番後ろの席だったり前に行ってマイクでしゃべったり、わりとチャラチャラしてたけど、2人組とかグループとか作る状況になったとしたらあんまり自信はなかった。

 

 1年生の冬ごろから卒業して大学1回生のGWまで付き合っていた女の子はいた。一緒に帰ったり、メールしたり、プリクラを撮ったり、自転車を二人乗りをしたり、公立の図書館で勉強したりした。背の高い、わりと美人な、そしてわりとわがままな女の子だったと思う。たしか野菜が嫌いだった。

 その女の子には何かのきっかけで『ノルウェイの森』を借りた。わりとおもしろかった。母親に持たせてもらった弁当を食べながら読んでいたので、弁当の中に入っていたミートボールの味とか匂いを思い出す。それから、下巻の始めのほうを読んでいるときにクラスメイトから「官能小説でも読んどるのか」とからかわれて確かに官能小説と言えなくもないな、と思ったのも覚えている。

 大学に入ってから聞いた、アーサー・ヘイリーの『ホテル』という小説は、僕の通っていた大学にはなかったんだけど、少し前に古本屋で偶然見つけて、買って読んだらめちゃくちゃおもしろかった。

 その女の子とは別々の大学に入学し、僕は家を出て京都で下宿をし、GWの途中に電話で振られた、一晩中泣いてかなり長い間引きずった。傷ついた心に『金色夜叉』と『赤と黒』と映画の「殺し屋1」が沁みた。でもそれはまた別の話。

 

 結構覚えているような気もしつつ、でもやっぱり自分がどんなやつだったのか自信がない。イケてたっぽく語ってしまいそうになるんだけど、そんなことないだろダサかっただろと自分にブレーキをかけなきゃいけない気もするし、模試とかは結構よかったぜとか言いつつ定期テストが散々だったのは言い逃れようもないし。

 そして何より、周りの人たちとどんな話をしていたのか思い出せない。ちょっと背伸びしたカッコつけの嫌な感じなやつだったような気がしているんだけど、その辺を無理に思い出そうとすると、変に固定化されそうだ。

 僕は一体どんなやつだったんだろう。

 地元を離れて久しく、まったく交流も絶えてしまっているので、僕がどんなやつだったのか、答え合わせのしようがない。僕は自分が好きなので、自分がどんなやつだったか強く知りたい。(ふと思ったけど、みんな僕のことなんか覚えていないんじゃないだろうか。答え合わせができると思ってること自体が傲慢じゃないのか)

 

 ふと同窓会とかに誘ってくれないかなあ。そうしないとどんどん自分の過去が美化されて、いいほうへねつ造されていってしまう。

 それかあの頃の田舎の高校生を連れて、いろいろしゃべりながら大阪の街を歩きたい。まさか自分が大阪に住んで結婚して子どもがいるなんて思ってもみなかったなあ。

 

 ちなみに大学時代については、そもそも家内が大学の同級生だし、写真とか日記とかも残っているので再現性は高い。やっぱ日記って大事ですね。

傍流、溶け出し行けよ、明滅繰り返せよ。

 昨晩、職場の飲み会があった。仕事はぼちぼちやってんだけど、いまいち職場の人たちと打ち解けない感じがある。ていうか打ち解けた人たちはあんまり飲み会に来ていなかった。そういう方々と打ち解けている。

 昔から自分は本流の人間じゃないと思ってる。教室とか、職場とかのメインストリームにいない。傍流、路地裏系の人生。

 つってもその路地裏を独特の観察眼で眺めてるわけでもねえなって思ったのが、一次会をヘラヘラしながら辞して、このまままっすぐ帰ってもいいけどそうしたら家内が子どもを寝かしつけてるのとかち合ってしまうし、せっかく夜中に歩いてんのにもったいないなと思ってもう一軒寄って、そこでバーテンさんとか他のお客さんとしゃべったとき。特におもしろいこと言えない。

 人と話すのは結構好きなんすよ。初対面の人と探り探り会話をつないで保ってっていうあの感じ、嫌いじゃないんすよ。でも何にも話せることないし、だって仕事と家族しかないし、今さら昔のゲームを夜な夜な必死こいてやってるってのもアレじゃないですか。

 いや、昔のゲームやってるっつうのも悪くない話題かもしれない。おもしろく話せたら。おもしろくっていうか上手に。上手に話すのって難しいね。

 一杯分だけ他愛ない話して帰ってきて、それが結構おもしろかったっていうか、自分の輪郭がちょっと世界と融和した、みたいな感じがあって、やっぱおもしろかった。クラブとかもそうで、チラチラとライトが明滅する暗い中で大きい音が鳴っててちょっと酔っぱらってフラフラしてると、自分の輪郭があいまいな感じして、それがいい。別に確固たる自分があるわけじゃないけど。

 部分的でも、融和したくないすか?世界と。だからもうちょっと上手にしゃべれるものがあったり、しゃべり方があったりしたらいいのになって思う。

 とか言いながら、別に昨晩話した人の中に特別に話が上手な人がいたかっつったらそうでもないんだけどね。でももうちょっと図々しく自分の話が、できればもう少し上手にできるようになりたい。と思った。

 

#隙あらばポエム

家族が起きてこない。

家族が起きてこなくて退屈だ。子どもたちもいたらいたでかまってやるのが大変だけれど、今に起きてくるぞ、と思いながらいつまでも待ってなんかだか拍子抜けしている。

お茶を沸かしながらスマホで書いている。
今月は調子がよくたくさんブログが書けたので、今月中にもうひとつと思って書いている。別に元号の変わり目にこだわりがあるわけではない。平成は好きだけど。
お茶が沸いた。

さっき、いつまでもみんなが起きてこないので、プ レステのオンラインでゲームをダウンロードするためのプリペイドカードを買いにコンビニへ行った。
キャンペーン中で、1万円分のカードを購入すると1,000円分おまけしてくれるそうな。
コンビニで熟慮の結果見送った。理由は以下の通り。
①1万円分は金額が大きすぎて家内に怒られるかもしれない。
②わけのわからない企業のアンケートに答えてメールアドレスを1,000円で売り渡したくない。
③財布に1万円も入っていない。
結局何も買わずに帰ってきた。
まだ誰も起きてなかった。

ボサボサ頭の長女が起きてきた。
おはよう。
とりあえず、という感じで抱きついてきてくれた。おはよう。

コンビニに行くにあたって、財布やスマホをポケットに入れておけばいいものをわざわざボディバックに入れて、それで持って行った。
これは昨日GUで買ったものだ。なかなかいい具合に今風である。
これはいいぞ。

でも現在の僕はえらく汚らしい風貌をしている。
これは昨日、家内が不意に僕のことをスマホのムービーで撮ってわかった。
家内も「いままで私の目が曇ってたかもしらんけど、客観的に見ると汚いな…」と言っていた。
僕もそう思う。
なので今日は床屋に行きたい。
できれば次女もカットしてもらいたい。
長女もボサボサだけど、まだ伸ばしたいので今度でいいそうだ。

いま長女に「おとうさんのメガネケースに納豆が入ってたらどうする?」とめちゃくちゃ嫌なことを言われた。